さて、昨日の続きです。
瀬古が早稲田にいた時代、日体大にもスター選手がいました。
関東学生の5000m走の歴代ランキングで8位に
残っている瀬古を抑えて7位に入り込んでいる中村孝生と
18位にいる新宅雅也です。
ちなみに5000mの歴代ランキング30位までに残っている
1970年代の選手はこの3人です。
この3人が主役とならなかった昭和54年が記憶に残っています。
早稲田は2区で瀬古が快走して、2位の日体大の中村孝生を
3分近く引き離します。そして4区まで早稲田がトップを快走。
5区にトップでタスキをつなぎます。
一方の日体大は5区にもう一人のエースの新宅雅也を投入。
3位3分差でタスキを貰った新宅は一気に山登りでトップへ
躍り出ます。
2位の順天堂大に100m差をつけ、新宅の実力を
持ってすればそのまま独走と思われましたが・・・
なんと順天堂大の5区走者は執念の粘りで新宅を逆転(@_@;)
ゴールした時には五区の中継所よりも差を広げて
新宅になんと4分近い大差をつけます。
山登りの怖いこと(@_@;)
これが祟って、その年の日体大は復路で追い上げながら
順天堂大に1分40秒差で敗れます。
現在でも3000m障害の関東学生記録保持者の
新宅を持ってしても勝てなかったその五区のランナーこそ
上田誠仁、後に無名の山梨学院大の監督として
山梨学院大を強豪に育て3度優勝に導いた監督です。
さて、瀬古は箱根駅伝でも二年連続で花の二区と呼ばれる
最長区間(当時)で驚異的な区間記録を叩きだします。
そのタイムは1時間11分37秒。
現在の日本人の区間最高記録1時間6分46秒。
現在の区間距離が1.2キロ短いこと(3分30秒ぐらい?)を
考えても1分以上負けますね!
それどころか・・・
今年の二区の区間六位の拓殖大のマイナが1時間8分4秒。
3分30秒ぐらい足すと、1時間11分34秒。
瀬古が今年なら区間七位???
しかし、瀬古は関東学生の1万m走の歴代ランキングで3位
1970年代、1980年代の選手で
唯一ランキングに残っています。(@_@;)
しかも、学生時代にマラソンでも勝っていますので
スタミナもスピードもあります。
しかし、何で箱根ではこんなに遅い???
箱根駅伝の総合記録を当時の記録と比べると現在の記録は
20分以上速いですね(@_@;)
今年最下位の日本大学が11時間28分
昭和54年優勝した順天堂大学は11時間30分38秒
なんと、最下位に負ける!(@_@;)
それもそのはず、当時は1万m走で30分を切れば
学生でも一流選手。
ところが、現在の選手は30分を切っていない選手が
半分以下のチームがありません。
それだけレベルが上がったということです。
しかしながら、それに比例して世界で活躍する選手が
出てこないのは残念ですね。
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