テーマ:暮らしを楽しむ(383915)
カテゴリ:世界文化遺産
玉置山_story(3175)2013.8.27
朝晩がとても涼しくなった。寒いくらいだ。家でなにもしないのに、腹だけが減り3度の食事を平らげる。水もなく、食料にも乏しかった大峯奥駈では考えられなかったことだ。夢のような生活が現実なのか、夢なのか? 大峯奥駈第1章 回想録(6日目その2) 花折塚近くから、地蔵岳、笠捨山を眺望 世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を12泊13日で巡ってきました。 そのうちの大峯奥駈道(吉野川柳の渡し→熊野本宮大社)6泊7日の旅を第1章として回想する。、 6日目の行程(数字は標準時間) □行仙宿山小屋→1:20→笠捨山→0:25→葛川辻→(0:40→槍ヶ岳→1:10→地蔵岳(1250)→)→実際は巻き道→2:00→香精山(1120.9)→0:30塔ノ谷峠→1:10→蜘蛛ノ口→ 1:20→花折塚→0:55→カツエ坂→玉置山→0:20→◎玉置神社(水) 泊 6日目の昼食は蜘蛛の口(岩の口)で杉林の真っ只中。アブは来ず、蜂だけが汗の匂いに誘われて2匹やってきただけである。林間に差す太陽があり、ここでも上着2枚を干している。 この辻も上葛川のほうから玉置山まで登り返す稜線の一つである。1時間ほど前に通った「塔ノ谷峠(貝吹金剛)」同様、近世の奥駈道であった。双耳峰である笠捨山の東側から南下して蛇崩(たぐえ)山を経由して上葛川部落に降り立ち、「塔ノ谷峠(貝吹金剛)」や、蜘蛛の口(岩の口)に登り返して玉置山に向かうコースである。 その笠捨山は、西行法師が通ったとき、笠捨山の原始林の余りの寂しさに笠を捨てて逃げたという言い伝えから山の名が生まれたという。これには江戸時代に落ちがあり、山伏が慣わしに従って一旦笠を捨てたが代わりが手に入らなかったので再び拾って先に進んだという。 され、香精山(こうしょうざん 1121.9m)から稚児ノ森703m、林道合流点635mなどとおよそ500mを下りに下った後は、玉置山(1076m)まで400mを登りに上り、神社まで100m下る。という長丁場の過酷なレース。 途中に林道があるのがいけない。当初はこの林道を歩けばよいものと勘違いをして、目算をK氏にも伝えてある。幾度も「林道を歩けば楽ではないか!」という誘惑にかられある時は大きく迂回しながらも楽な方の林道を歩くも、余りの遠さにまたトボトボと奥駈道の古来の土道に戻るという繰り返し。1/25,000の地図にもこの奥駈道が書いていないのだ。ほぼアスファルトの林道に沿った道ではあるが最短コースとはいえあまりにもup-downが激しい。 5kmほどの土道がほぼ林道と平行に通っている。当然林道のほうが長いのであるが見た目、起伏がなく楽そうに見える。接点が何か所もあるが、林道に出てしまえばそこでゲーム終了。あくまでも修験の道は土道なのである。 世界遺産の石碑のある個所は、展望台も近くこの部分のみ約200mが土道がなくアスファルトを歩く。遠回りしたり絵を描いたりと随分時間を消費した。 おどろいたことに後ろで「コツコツ」と音がし始めた。2本のストックを突きながら進む、仙人のようなK氏が、ストックにすがりながら現れた。映画「十戒」のベンハーのようである。ほとんど何も食べていないので倒れんばかりである。よくぞ頑張って小生に追いついたものだ。車道で大きくS字に歩いたかと思うと、大の字になって倒れてしまった。10分前にも小生がへたり込んだように。この2人。意識朦朧としながらも玉置神社に向かわねばならない。 一方は、参籠(さんろう)者として宿泊を許可されている、一方はさらに先に進むかして本宮辻でテントを張らねばならない。こんなところで朽ちるわけにはいかないのだ。よろよろしながら進みだした。K氏はまだ大の字になって寝ている。とそこへ展望台から出てくる車があった。呼び止めて、「この駐車場までくればテントを張れることを教えてあげて欲しい。」とメッセージを託す。 振り返ると、杖にすがってこちらにゆっくり歩を進めるK氏が居た。恐るべき気力の持ち主である。 カツエ坂を登ってようやく玉置山山頂。神社は100mほど下った場所にあった。 4時過ぎに到着。歩行時間は合計10時間に及ぶ。疲れ果てた。 賄いのおばさん達が帰る時間であった。社務所で受付を終えると、このおばさん達が用意した夕食、朝食、昼弁当がセットになってすでに卓上に用意されていた。 まずはお風呂にはいれと。本日の参籠者は小生たった1人。大部屋に一人。 神主さん達は忙しく立ち働いている。その主はどこかにお勤めに行っているらしく今はいないがそのうちに帰ってくると。その前にお風呂を戴くようにと。 別天地のような歓迎ぶり。これも奥駈道を歩いていないと許可がおりない特権である。K氏も絶対ここに泊まるべきであった。氏はなんとここからさらに30分もある本宮辻でテントを張るべく歩を進めた模様。 林道に降り立つ瞬間までこのような急傾斜が続く。落差500mの山道はこんな感じで続く。 奈落へ転がり落ちる感じ。順峰(熊野本宮大社から吉野まで)の場合はきつい登りが何時間も続くであろう。 945mの標高。林道(奥駈道)に沿って立つ。この石碑の東側は十津川の森北又・・ 小高い丘は天皇山と呼ばれ、明治時代に植林された檜が数多く残る。樹齢は150年。天皇山の東側には北又谷があり、北山川の源流の一つとなっている。十津川の森北又は北又谷を中心に尾根回り361.42haの広大な森である。 総延長100kmの峰中、寺社殿と宿坊が残るのは山上ヶ岳と玉置山だけである。3万平米の玉置神社境内は長く斧を入れることが禁止されたので貴重なスギの美林が残されている。 肥沃な土地と温暖多雨の気候にも恵まれて巨木も多い。 駐車場から玉置神社に向かう間に目にする丸い大きな幾つもの石。奈良県指定の天然記念物「枕状溶岩」で、あたりが「枕状溶岩堆積地」となっている。玉置の名前の起こりと言われる。修験上大変重要な「玉石社」という末社が建てられている。 急傾斜の杉林である。上の写真と似ている。 Picture1(sketch-direction 0° pm2:16 Sketch point:Hanaorizuka,Kumanokodo-Omineokugakedo,Nara Pref.,JapanGPS 33.932517,135.832617(°)(33°55'57.06" N,135°49'57.42" E)標高985m Picture2(sketch-direction 270°pm6:00 Sketch point:Tamaki^shrain,Kumanokodo-Omineokugakedo,Nara Pref.,JapanGPS 33.924803,135.830511(°)(33°55'29.29" N,135°49'49.84" E)標高975m Google Earthを楽しむ方法 Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 27, 2013 10:36:05 PM
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