昨日の駒込冨士に続いて、十条冨士に行ってきました。
JR東十条駅から歩いたので、十条冨士神社に着くまでは、寂しい道でした。
ところが、十条冨士神社に着くと、一転して、にぎやか、JR十条駅に向かう道は、露店がずらり並んでいました。
地元では「お冨士さん」として親しまれ、昨日から、今日、十条冨士神社脇の道路には、約200の露店が出店しているそうです。
まさに活気あふれる、お冨士さんです。こんなに大々的に祭礼をする所は、少ないと思います。露店は、駒込冨士より多いです。
十条冨士塚は、十条地域の人々によって結成された冨士講「伊藤元講」が、江戸時代以来の冨士信仰にもとづく年中行事を繰り返してきた場所です。
まさに由緒ある、冨士塚です。
塚には、伊藤元講などが建てた石造物が、30数基あります。
「丸参十条伊藤講」の結成時期はいつ頃かは定かではないですが、僅かに十条冨士の塚上に立てられている講碑の銘文にこの講が最初に登場するのは盟和2(1766)年6月吉日と冨士塚の頂上に建てられている石祠に刻まれているそうです。
かつての登山道と、中ほどにある小御嶽神社
有吉蓉子さんの『ご近所富士山に「謎」』(講談社)によると、「目立つ『伊藤』の文字は、食行身禄の娘、花(一行)の弟子『参行』のことであり、身禄(伊藤伊兵衞)の名を継いだ三代目伊藤伊兵衞と言われている。」ということです。
境内では、十条富士講の皆さんがお揃いの浴衣を着て入口で、お線香や縁起物を販売していました。
有吉蓉子さんの
『ご近所富士山に「謎」』(講談社)によると
、「目立つ『伊藤』の文字は、食行身禄の娘、花(一行)の弟子『参行』のことであり、身禄(伊藤伊兵衞)の名を継いだ三代目伊藤伊兵衞と言われている。」ということです。
境内では、十条富士講の皆さんがお揃いの浴衣を着て入口で、お線香や縁起物を販売していました。
お線香を買って、あたらしく出来た階段を上がり、頂上の石祠(せきし)前で、その線香の束を火中に投じ、参拝します。
とても由緒を感じます。
奥の院