大きな木に、ぶどうの形に似た赤い実の房をたくさん垂らしています。
飯桐(いいぎり)という名の木です。
別名「南天桐(なんてんぎり)」。そういえば、赤い実で、南天にも似ています。
「いいきり」という名前を聞いて、いいとはどういう字を書くのかと思ったら、ご飯の 飯です。和名の由来は、昔、葉で飯を包んだため飯桐といわれています。
大きな葉です。
ご飯を盛る葉と言えば、万葉集の巻第ニの有間皇子(ありまのみこ)の歌を思い出します。
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る
(家にいるときはいつも食器に盛っていた飯を、今は旅の途上であるので、椎の葉に盛っている。
この歌で飯を盛るのは、椎(しひ/しい)の葉です。
椎は、ブナ科シイノキ属の広葉樹のツブラジイ(円椎)とその変種スダジイ(頭陀椎)の略称です。5~6月頃に穂状の花を咲かせます。これらの実(ドングリ)は食べられるそうです。この桐の葉ではありません。
有間皇子の歌は「自らを傷みて松が枝を結ぶ歌2首」となっていてもう1首、この歌の前にあります。
磐代(いわしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた還(かへ)り見む
有間皇子は孝徳天皇の皇子で、皇位継承の有力な資格者でした。
一方、斉明天皇と皇太子・中大兄皇子にとっては、皇位をスムーズに引き継ぐため、有間皇子は除いておきたい人物でした。
そんな中の658年、皇子は、斉明天皇と皇太子・中大兄皇子が紀の湯に行幸中に謀叛を企てたとして捕えられます。
留守役の蘇我赤兄にそそのかされたもので、中大兄と赤兄によって仕組まれたものかもしれません。
悲劇の皇子は、中大兄の訊問を受けた帰りに、藤白坂で絞首刑に処せられます。享年19。
もう一つ、ご飯をくるむ葉として、 柿の葉を思い出します。
奈良県の名産品「柿の葉すし」です。
柿の葉すしが生まれたのは、江戸時代です。
長い運搬にも腐らないようにということで、酢飯と、抗菌作用や防腐作用のある柿の葉で包んで食されたのが柿の葉すしのはじまりといわれています。