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”想いを次の世代につなげる”有限会社ウィルウィンド代表の徒然日記
想いを次の世代につなげる!willwind代表の徒然日記 [全808件]
新年あけましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。 2011年、ウィルウィンドでは4年越しで取り組んでおりました企業様の社史の完成、 2年越しで取り組んでおりました家族史の完成などを見ることができた、 一つの区切りの年となりました。 そして本年は家族史、社史に加え、従来から行っておりました企業研修にもより力を入れるべく、 未来新聞株式会社とのコラボレーションで「未来新聞研修」も行わせていただくことになりました。 「過去~現在~未来」をつなぐ役割をより強化し、転換期の今、 よりよい未来づくりのお手伝いをさせていただければと思っております。 ◎未来新聞:http://www.miraishimbun.jp/ また、2010年7月より代表を務めさせていただいておりますMEMORO「記憶の銀行」では、 2011年2月2日に内閣府認証のNPO法人となることができ、 秋にはウェブサイトの大幅リニューアルも完了、 いよいよ本格稼働の準備が整った年となりました。 そして年末には、新ウェブサイトを通じて、大正大学の40人近くの学生さんが メモリーシーカーとして身近な60歳以上の方の記憶を投稿して下さいました。 今年は皆様も是非メモリーシーカーにチャレンジしていただけたら嬉しく思います。 ◎MEMORO「記憶の銀行」:http://www.memoro.org/jp-jp/ ◎メモリーシーカーについて:http://www.memoro.org/jp-jp/help_cercatori_memoria.php ここまで活動を進めてこれたのも、皆様からのご指導、ご支援のお陰だと深く感謝しております。 2011年は社会的にも個人的にも大きな衝撃を受けた年となりました。 ここでは社会的なことから感じた個人的なことを一つお話したいと思います。 今までライフワークとして、そして仕事も通じて、多くの方から戦争のお話をうかがってきました。 未来をどうつくるべきか、先人の想いをどう受け止めるべきか、そのことに向き合うためにも ウィルウィンドの創立記念日は日本人にとって大切な日、8月15日にさせていただいています。 そして、ウィルウィンドをはじめた当初、大衆がどうして戦争に向かってしまったのか、 そのときの気持ちはどういうものだったのか、未来にそれを起こさないためにはどうしたらいいのか ということを心の中の一つの課題としてお話をうかがってきました。 自分は絶対戦争に加担しない、そんな気持ちがどこかにあったのだと思います。 でも、今回震災が起き、原発事故を目の当たりしたとき、 私たちはエネルギー効率という仮面をかぶった核を、 ここまで沢山国内に持っていたのだということに改めて気付かされました。 戦争とは少し違うかもしれませんが、自らを滅ぼす可能性のあるもの、 それも核廃棄物は10万年先まで負の遺産として継承させざるをえないものです。 それにも関わらず、そのことに正面から向き合わず過ごしてきた私に、50年後の子供たちから 「どうしてそんな危ないものを持っていたことを容認していたの?」と聞かれたら、 私はなんと答えるのか…。恥ずかしながら、今の私には言い訳しか思い浮かびません。 2011年は、原発問題を一つの象徴として、 それを含む多くの意味で自身の未熟さをまた一段と知った一年でもありました。 ただ、物事には必ず表裏があるという通り、それと同じだけ力も湧いた年でした。 いのちをつなぎたい、未来をよくしたい、 この想いは、種を保存したい私たちの一つの本能なのだと思います。 今こそ、自分たちで作る未来に、もっと意識と責任を持っていきたい。 きちんと胸に手をあてながら、想いを繋ぐ、未来を創るウィルウィンドとして、 そして冨田個人として、2012年も一歩一歩進んでいきたいと思います。 みなさまにとって、よき年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。 共に手を取り合って、少しでもよい未来を創っていけたらと思います。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年も8月15日がやってきました。 終戦記念日。 そして、意を決してこの大切な日をウィルウィンドの創立記念日とした日。 今年は、東日本大震災がありました。 震災から4カ月後、南三陸町にボランティアに行きました。 そこに広がっていた光景は 写真や映像からは感じ得ない、想像を絶する空間でした。 現地では「語り部の会」というものがあり 遠方からやってきたボランティアに あの日のことを被災者が語って下さる時間がありました。 まだたった4カ月なのに。。予期しない、場でした。 震災の記憶を語り継ぐことは、後世に教訓を残すことであり 被災者の心の整理にもつながるという趣旨でした。 私がお話をうかがったのは 今回、はじめて人前で話をするという羽賀たえ子さんの記憶。 昭和35年、9歳のときのチリ地震の津波で祖母やいとこを亡くし 地震がきたらどうするか、津波がきたらどうするか、 そういうときにはなにがあっても自分の身を確保することだと、 いつも話し合っていたそんな羽賀さんのご家族に ふたたび津波が襲いました。 後ろを走っていたご家族が、ほんの数秒後にいなくなった記憶。 手を離してしまった人のぬくもりが、まだその手に残る生々しい記憶。。。 羽賀さんは今回の津波で、お兄様を亡くされました。 私はまだ、あの日、南三陸町で見たこと、聞いたこと、感じたことを 総括することができません。 仕事がら、多くの方の記憶に耳を傾け、 それらを消化し、自己完結させる力を養ってきたと思っていましたが あの方のお話と、あの風景は、まだ自分の胸の中でさまよっています。 ただ、あの日に受けた衝撃は 66年前の戦争を、私にまた新しい視点で見せてくれたことも事実です。 写真や映像で見る戦後の焼け野原が、 また違った問いかけを私にしてきます。 多くの人のいのちが、あの一面のがれきの中 私が立っているその足元で、終わったということが いったいどういうことなのかと。 今、願い、祈れるのは、「再生」の力です。 戦争という人災と、津波という天災は当然違うことではありますが でも、もし今、私たちが自然の摂理に従って破壊され そしてその後の混沌に身をおくならば 自然の摂理に従って次に訪れるであろう再生というステージを信じたい。 私たちは常に産みの苦しみを味わいながら 新しいいのちを誕生させてきました。 世界が大きく変わる時。 7年目のウィルウィンドも、 再生へのプロセスを踏みながら 進化を続けたいと思っています。 ![]() 南三陸町の福興祭で鹿児島から送られてきた支援物資の文房具を手渡した双子の女の子 2011年7月31日
今日は私が大好きなお二人が経営する会社、 リリムジカさんの新体制をお祝いする会に参加しました。 起業セミナーで出会ったという大学卒業したての男女二人が 2008年に立ち上げたフレッシュな会社。 その社長と取締役がお互いに入れ替わったという新体制です。 創業者で6月末まで社長をしていた柴田萌さんは 「音楽療法を仕事にしたい!」という想いだけで事業計画を作り 起業セミナーでプレゼンしました。 「社長になりたかったのではなく、音楽療法を仕事にしたかった」 と柴田さんは言います。 一方、「天才と仕事をしなさい」と 学生時代アルバイト先のプロデューサーに言われたことを胸に、 まったく知らない世界でありながら 音楽療法士というスキルと、情熱をを持った起業セミナーの隣の席の柴田さんを 「天才だ」と思って起業パートナーに名乗り出た管偉辰さん。 リリムジカ設立後は取締役として、 「音楽療法以外のことを全部やろう」と 介護福祉の仲間と大きなネットワークを作り上げました。 3年という月日を経て、二人の立ち位置を調整したら、 音楽療法に集中したい柴田さんが取締役に、 そして盛りたて役の管さんが社長になりました。 もちろん仲が悪くなったとか、関係がこじれたとか、そんなことではありません。 一番自然な位置に落ち着いた結果が、社長と取締役の交替です。 あー、なんてしなやかな決断なんだろう。 なんて素敵な関係なんだろう。 私が大好きなお二人。とっても尊敬しているお二人。 これからも新しい体制でより一層のご発展をお祈りしています。 新体制、おめでとう!!!!! ![]() 新社長の管偉辰さん(左)、創業者の柴田萌さん(右) リリムジカのページは→こちら♪
MEMORO「記憶の銀行」のFacebookページを開設しました! http://www.facebook.com/Memoro.Japan MEMOROに投稿された人生の先輩方の記憶をさまざまな切り口で紹介します。 MEMOROが開催するイベントやMEMOROの活動の様子なども発信していきます。 皆様、是非「いいね」ボタンを押して参加して下さいませ!!!
淑徳大学の池袋サテライトキャンパスで開講させていただくことになりました。 想いを次の世代につなげる会社、ウィルウィンドでの6年間の経験と想いを大公開! 震災を通じて、生きることを見つめ直された方も多いのではないかと思います。 生きるってなんだろう、いのちってなんだろう。。つなげるってなんだろう。。 5月10日(火)、5月17日(火)、5月31日(火)の3日間 一緒にディープに考える時間を過ごしませんか? 今よりも一段と前を向いて歩ける、今よりも一段と上を向いて歩ける、 5月末にはそんな自分と出会えるはず!!! 公開特別講座 「きもちのゆいごん」のすすめ ●日程 第一回 5月10日(火)15:15~16:45 第二回 5月17日(火)15:15~16:45 第三回 5月31日(火)15:15~16:45 ●場所 淑徳大学池袋サテライト・キャンパス ●受講料 10,000円 == 講座詳細 == 母は幸せだったのだろうか。 父は自分と同じ年の頃、何を考えていたのだろうか。 祖母が大切にしていたお守りの中身はなんだったのだろうか。 祖父は戦争のことをどう思っていたのだろうか。 一番聞きたかったこと、結局何も聞けなかった―― そんな後悔をバネに、今、元気な両親には絶対聞いておきたいことを聴いておこう。 子どもたちに同じ思いをさせないために、子どもたちが将来を生きる力になるであろうことを残しておこう。 こうして「きもちのゆいごん」を残すという取り組みは生まれました。 いのちをつないでしか生きていくことができない私たちが、未来を生きる次の世代に託せるもの、それは私たちの経験、想い、そして願い以外にはないのではないでしょうか。 想いを次の世代につなげる会社、有限会社ウィルウィンドの代表取締役であり、世界15カ国に広がるNPO活動MEMORO「記憶の銀行」の日本代表である冨田直子が、あなたの「きもち」を次の世代に伝えることをつうじて、家族への愛を伝える方法、自分自身を深く振り返る方法を3回に渡ってお話します。 あなたがご両親や祖父母様から引き継いできた生きる力の灯を、「きもちのゆいごん」という人生最高のプレゼントをつうじて、未来を生きる子どもに、孫に、まだ見ぬ家族へと、つないでいきませんか? == スケジュール == 第1回 5月10日(火)15:15~16:45 「きもちのゆいごん」とは 「記憶のゆいごん」 「気持ちのゆいごん」 「未来へのゆいごん」 第2回 5月17日(火)15:15~16:45 年表と家系図を作ってみよう 伝えたい「きもち」を見つけよう 第3回 5月31日(火)15:15~16:45 伝えたい「きもち」を掘り下げよう 伝わる「残し方」を考えよう == 講 師 == 冨田 直子(有限会社ウィルウィンド代表取締社長) 慶應義塾大学総合政策学部卒業。朝日アーサーアンダーセンにて経営コンサルタント、GEにて シックスシグマのブラックベルトとして社内外のコンサルティング、及びプロジェクトリーダーを務める。AIGにて、日本・韓国地区団体保険担当の経営企画に従事後2005年8月退職。 2005年8月「想いを次の世代に つなげるお手伝いをする会社」有限会社ウィルウィンドを設立。数多くの家族史制作に携わる。2006年、NPO法人「昭和の記憶」理事、USENビジネスステーション「想いが未来を創る」パーソナリティーを歴任。現在は、60歳以上の方の記憶を保管共有する無料オンラインアーカイブ、NPO MEMORO「記憶の銀行」日本代表。 ================================= ★お申込み・詳細はこちら→ http://ext.shukutoku.ac.jp/course/detail/287/ =================================
祖母が日曜日に亡くなりました。 お昼にはめずらしくパンが食べたいと言って、菓子パンを食べたそうです。 昼までは、いつもの食いしん坊の祖母でした。 入院もしていません。 とくにどこが悪かったというところもありません。 でも、昨年の夏に腰を痛めて10日間入院して以来、自宅で寝たきりになっていました。 そして、私が実家を訪ねるたびに、祖母は少しずつ少しずつ弱っていました。 お正月に「おめでとう」を言ったときの弱々しい声が、今でも耳に残っています。 東京がこの冬一番の冷え込みに襲われた日曜日の夜遅く、 93歳の祖母は自宅のベッドで静かに息を引き取りました。 「おばあちゃまが、息をするのをやめちゃった」 父からの電話で知りました。 あまりに急ではありましたが、でもこんな日がくることもわかっていました。 タクシーで駆けつけて、まだ暖かい祖母と会うことができました。 祖母とは、大学2年生のときから10年間、同居していました。 本当は祖父とも一緒に同居の予定でしたが、 二世帯住宅を建て替えている最中に祖父は亡くなりました。 大学生のころは祖母と本当によく喧嘩をしました。 「女の子なんだから!」が祖母の口癖でした。 「女も男も関係ないのよ!」が私の反論でした。 運転免許を取らせてくれて、そして車を買ってくれたのも祖母でした。 当然、毎月返済をしていくことが条件でしたが、もうひとつ大切な条件がありました。 「お墓参りに毎月一回、おばあちゃまを連れていくこと」 中央高速を走って、祖父と叔父が眠る高尾まで、毎月一回、欠かさずお墓参りをしました。 社会人になってからも、ずっと続けました。 「帰りはどのお店でごはんを食べようか」、 行きの車の中から食いしん坊の祖母はそんな話ばかりしていました。 祖母と一緒のお墓参りは、10年は続いた気がします。 そのうち、祖母が「おばあちゃまの分もお参りしてきて」と言うようになって いらないというのに、ガソリン代とお昼代を握らされて 家族でドライブに出かける口実になりました。 「直子ちゃん、ありがとうね」と感謝されましたが、運転好きの私にとっては丁度いい気分転換で そして毎回、東京を見渡す南多摩霊園の丘の上で、深呼吸をするのが好きでした。 私は祖母の来し方を4年前に聴いて本にしていました。 生まれたころから、結婚するまでのお話です。 祖母にとってはそこまでがハイライトだったらしく、 その先は「もう知ってるでしょ」で話してくれませんでした。 以来、祖母は私をとても信用してくれました。 「口ごたえする孫」から「おばあちゃまの話を全部聴いてくれた孫」に格上げされました。 祖母がベッドの中や椅子に座って、 何度も何度もその本を読んでいるのを見たことがあります。 「おばあちゃまが死んだら、この本を一緒にお棺の中に入れてね」 祖母から何度も言われていました。 昨日の葬儀では、祖母との約束通り、本をお棺の中に入れました。 周りにお花をいっぱいおいて、祖母の写真が出ているページを押さえました。 人が亡くなると、いつも思うことがあります。 「これで、いつでもお話ができるようになった」と。 生きていると 距離があって、言葉があって、事情があって、感情があって いろいろなものが邪魔をして、本当の話をできないことが多い。。。 でもこれからは、私がいつも祖父とそうしていたように 祖母とも自由に話すことができるようになりました。 ベッドに入って、祖母に話しかけています。 「おばあちゃま、知らなかったでしょ。直子はこういう人間だったのよ」 これからは、祖母との会話が楽しみです。 お墓参りにもお小遣いをもらわなくても行くからね。 行って、祖母の分まで深呼吸をしたいと思います。 今までよりもずっとずっと多くのことを 祖母と話せるような気がしています。
みなさま、新年あけましておめでとうございます! 旧年中は大変お世話になりました。 今年も「記憶をつなげる」「想いをつなげる」「いのちをつなげる」の三拍子で ウィルウィンド、そして、MEMORO「記憶の銀行」ともに頑張っていきたいと思います。 今年の幕開けは、母に聞きたてほやほや「お雑煮レシピ」。 動画レシピ【我が家のお雑煮はおでん風】 ![]() javascript:void(0); みなさまもこのお正月、ご両親からお正月レシピや 昔の思い出話を、うかがってみてはいかがでしょうか? 動画が撮れたら是非、MEMORO「記憶の銀行」に投稿して下さい! → 投稿の仕方 今年もご指導ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。 |一覧| |
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