2+3=4
あたりまえながら、2+3=5である。 でも、子供が 『2+3=4』 と書けば、「それは答えとして間違っているよ」 と教えないといけない。 僕が考える教育の理想は ある1つの問題について、 【1つの答えを教える】ことではなく 【100個の間違いを考える】ことである。 いかに多くの間違いを考えてあげられるか。 いかに多くの間違いを許容して正しい答えに誘導できるか。 これが子供に対して、教育する側が負う最大の義務と思っている。 冒頭で『100個の間違いを〜』・・・とは書いたものの、実際に子供を目の前に何分も悩み続けるわけにはいかない。 タイトルに戻って... これから、『2+3=4』という誤りについて 子供との受け答えをするうえで、こちらが思考するのに子供が許容できるであろう時間を 【10秒間】とおいて、実際に10秒間で考えたパターン2つ(パターンA,B)を使って説明していく。 ・・・ので、下に読み進めていく前に、みなさんも【10秒間】で、 子供がなぜ2+3=4と答えたのか、そこにどんな誤りが起こったかを考えていただけると幸いである。 そうそう。理想をいえば、【10秒間】で、間違いパターンを考えて、それが正しいか実証するための解法やら類題も用意しなければならない。 【10秒間】の中には「5秒目くらいで教える側が何かに納得したような顔をする」ということも含んでいたりする。 5秒目までに納得する考えが浮かぶか、それとも、5秒目に何かわかったような顔をする力(ポーカーフェイス的な!)があれば子供は安心するだろう。 ・・・子供はなかなかに残酷な生き物である。 ↓ どうだったでしょうか? 「そんなのわかるわけないだろ!いい加減にしろ!!」 「訴訟も辞さない!・・・法廷であおう!!」 的な、激おこプンプン丸になってても責任はとりません。 あと、これはただしい答えはわかりません。 教職の免許もってないかんね!ごめんねごめんねー おわり。 自分の考えを書いておきます。 ------------------------------------------------- 僕なら、【3+4】を解かせてみる。 その後の処置は、 ⇒「ある同じ規則」で間違っていたら・・・パターンA;(推測完了,「解法の誤り」を指摘) ⇒「違う規則」で間違っていたら・・・パターンB;(数字を「1」から順に書いてもらう) ⇒⇒パターンAでもパターンBでもない場合・・・「ただの計算ミス」と判断。杞憂だったと思うことにする。 ・・・といった具合。 もしも気になってくれたら、うれしいです。 おーわり