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<おさるのイタリア漫遊記・その15>
ここ最近とんとご無沙汰していたが、私は小学校1~4年までイタリアはローマに住んでいました。その頃のことを「おさるのイタリア漫遊記」と題してこのブログを始めた当初、数回に渡って連載しておりました。 今日は、もうすぐイタリアのトリノで冬のオリンピックが始まるし、今年はなんといってもワールドカップはあるし、ということでちょっとまたそのネタで漫遊記を書いてみます。 イタリアが世界有数のサッカー大国なのは皆さんもよくご承知だろう。ワールドカップにはほぼ必ず参加し、毎回優勝候補の一角に名があがる。過去3回の優勝はダテではなく、とにかく国民はサッカー大好き、朝から晩まで寝ても覚めてもとにかくサッカー。日本の相撲などとは比べものにならない、サッカーこそイタリアの国技と言っていいだろう。 おさるも当然ながら毎日、学校から帰ると日が暮れるまで近所の子供達とサッカーばかりしていた。近くの公園にいけば、誰かがサッカーをしていて、知らない連中でもすぐに仲間に入れてくれた。皆試合がやりたいから、メンバーになりそうなやつはイタリア人だろうがおさるだろうが関係なかったのだ。ほんとにおおらかな時代だった。 あれは確か小学校3年の時、1970年メキシコ大会が開催された。当時まだモノクロではあったが、試合はイタリアでも生中継された。とはいえ、メキシコとは時差があるから確か夜中の中継だった気がする。イタリアは順当に勝ち上がり、準決勝でベッケンバウアー率いる西ドイツと対戦した。ワールドカップ史上でも名勝負として語り継がれている試合なのだ。 とにかくおさるは家族と一緒にTVにかじりついて応援していた。試合は終了直前に西ドイツが追いつき、1-1で延長戦に突入した。その休憩時間に、なにやら外が騒がしいのでベランダに出てみると(おさるの家はマンションの5階だった)、他の家々のベランダにも人が出ていて、口々に「イタリア頑張れ!」と叫んでいる。中には旗を振っているやつもいる。とにかく寝ているやつなど一人もいません、といった感じで、夜中なのに全ての家の明かりが煌々とついている感じだった。 昔のことなので私の記憶が間違っているかも知れないが、この試合は延長でも決着がつかず、10分ハーフの再延長をしたのではなかったか?試合は互いに一点をもぎ取ると相手もすぐに追いつく、というスリリングなシーソーゲームとなり、結局はイタリアが4-3で劇的勝利を飾り、ブラジルとの決勝に駒を進めたのだった。 決勝進出が決定した瞬間、もう外は叫び声の嵐。あまりの激闘を制したために、もう皆優勝したような騒ぎになっている。ベランダにでて旗を降る者、万歳を叫ぶ者、車のクラクションを鳴らす者・・・驚いたのは、そのうちに皆段々興奮してきたらしく、ベランダから植木鉢やらなにやらをぶん投げ始めたのだ。ガシャーン、ドーンとあちこちで壊れたり割れたりする音が聞こえてきていた。おさるは面白がって観ていたが、いかんせん深夜なので「さあ明日は学校だ」と眠りについた。しかし、なんと翌日学校は休みになってしまったのである! どうしてかというと、前夜みんなが投げまくったガラクタが道路にうず高く積もり、とにかく車も動けなければ人も容易に歩けない。朝おさるたちを迎えにくるはずのスクールバスが道路を走れず、歩いて学校に行くのも歩道が瓦礫で埋もれて困難ということで、急遽休校になってしまったのだ。おさるたちが狂喜乱舞したのはいうまでもない。 ワールドカップ準決勝に勝ったくらいで学校が一日休みになるのだから、こいつは優勝したらとんでもないことになるぞ、とおさるをはじめとする子供達は皆期待に胸を膨らませていたが、決勝では当時現役の神様ペレを擁したブラジルに4-1で完敗。子供達の野望?は儚い夢と消えた。 それにしてももしあの時、イタリアが優勝していたらどんな騒ぎになっていただろうか、とおさるは今でも懐かしく思い出すのです。一週間くらい学校は休みになったのでしょうかね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月09日 13時15分44秒
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