|
テーマ:『功名が辻』(385)
カテゴリ:その他の話題
本日の「功名が辻」は前半の山場、「本能寺の変」。
本編の主人公は山内一豊だから、「本能寺」は本来脇道なのだが、(司馬遼太郎の原作では僅か二行で語られている)やはりあまりにも有名な歴史上の一大事なので、戦国物では避けて通れないようだ。 今回は朝廷をも廃して日本を支配しようとした「魔王・信長」を「信心深き普通の人・光秀」が誅すという筋立て。最新の歴史研究を取り入れてなかなか面白かったが、映像を見ていてどうにも気になったのが「汚し」の無さだ。 「汚し」というのは、時代劇で使用する衣装などをより本物に近づけるため、わざと汚れやシワなどを付ける作業。これをすることによって、衣装のリアリティが格段にアップする。 黒澤映画の「汚し」は特に有名で、「七人の侍」で百姓が着るボロのリアリティを出すためにわざと衣装を石で傷つけ、さらに泥水に浸して汚したという。その作業を数ヶ月かけてやっていたといから頭が下がる。「汚し」は映像表現における必要不可欠なテクニックなのだ。 で、「功名が辻」に限らず最近の時代劇は映画・TVに限らず「汚し」が下手。というより、殆どやっていないのではないかと思えるほどの手抜きぶりなのだ。 今日の本能寺、守る側の小姓衆の衣装が、最後の最後までキンピカでどうみても不自然。あれだけの激闘にさらされれば、衣服は汚れ、破れ、血糊に染まるはず。それがまるで歌舞伎の舞台のようにきれいなまんまなのは手抜きが見え見えでしらけてしまう。 制作陣は、長浜城を捨てて山中に隠れた女達の顔をちょっと汚したくらいでリアリティを出したと思っているのだろうか?彼女たちの衣装がずっと小綺麗なのも極めて不自然。 万事コストカットのご時世、黒澤映画並みの工夫はもちろん望むべくもないが、せめて少しでも努力の跡を感じさせて欲しい。最近の時代劇を観ていてそう思うのは、私だけだろうか? そうそう、今日の「本能寺」のセットはかなりショボかった・・・NHKにしては予算を制限しすぎじゃないの? 超一流の「汚し」を堪能できます ![]() 七人の侍 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月12日 00時57分15秒
[その他の話題] カテゴリの最新記事
|
|