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Voielactee

Voielactee

2005.04.11
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カテゴリ:映画・テレビ・本
  新しい時代には 新しい秩序が必要である。

■映画・十戒を見て

 「救い主」と呼ばれた人達について考えた。
聖書の中にある話であり、宗教とされているが、宗教の枠組みを取り払って見ていた。
モーゼが生まれた時代・社会背景にしても、イエスが生まれた背景にしても
その時代の古い凝り固まった「律法」が存在し、腐敗した官僚政治が行われている。
その国家の下でいつも苦しむのは立場の弱い弱者と呼ばれる人達である。
国家を信じても、律法を信じても報われない。すれば何に救いを求めるか。
神である。

「救い主」。人々が神に祈り、それを施す人が人となって地上に現れる。
あるいは予言者によってそれを行う人が現れる。

 モーゼにしても、イエスにしても、言葉が人を超越している。
従来の既成概念にある言葉をつかわずに、神の言葉をつかっている。
神の言葉とは、人の命の言葉でもある。
しかも、瞬時に解決策というか状況を変える言葉を表現している。
状況に呑みこまれるのではなく、自らの「存在」を現している。
存在とは、組織によってつくられた何者でもなく、
両親によってつくられたものの何者でもない、自分自身の言葉である。

 十戒を見いてて、一番印象に残ったシーンがあった。
モーゼが出生の秘密を知り、生みの親である奴隷のヘブライ人の母を尋ねる。
そこには育ての母親もいあわせ、エジプトの王となるのか、ヘブライ人と共に
奴隷となるのかの選択を迫られる。
モーゼはご存知の通り、エジプト国により「救世主が世に現る」との預言から
ヘブライ人の赤子を殺させた時、その難を逃れて、
エジプトのファラオの娘に拾われ育てられたエジプトの王子である。

王女が「わざわざ奴隷の道を選ぶの?王になれば、
何でも解決できるのよ。王として全ての人に恩恵を施したらどう?」との言葉に
モーゼは答える。「私の行くべき道は決まったのです」
奴隷になったら地獄のような苦しみがあることを知りながらも、
同胞たちと共に生きる、つまり奴隷となることを選んだモーゼ。
この決断。自分がこの状況であったら、果たして出来るかと考えてしまった。
王という立場で、状況を変えていくことだって出来るだろうに、と。
ところが。
王の前においても、民の前においても、モーゼの判断の基準はいつも神である。

王により、エジプトから追放されたモーゼは、シナイへ抜ける砂漠をさまよいながら
過去の蘇りの想いと未来への不安な予兆かを抱きながら、何日も砂漠をさ迷い、
艱難と困難を潜り抜ける。神によって選ばれた予言者や預言者が必ず訪れる御業。
母なる大地に帰ろうとするとき神の御業は始まる。

そして、シナイ山に登ったとき、はじめて神の啓示を受け、山から下りてきたとき、
モーゼの奥さんに言った言葉があった。
『見た光とは永遠の霊の光 ― みんなの中にある光である」と。
そして、神意を受けたモーゼはエジプトで奴隷とされているヘブライ人の民を救うため
エジプトに戻る。

時代が変わると共に、時代を変える人が現れる。
モーゼは自由の道へ導くために生まれた。

エジプトを脱出するために、エジプトに災いをもたらすなど数々の奇跡の
御業を成し遂げたモーゼ。やがてファラオ(モーゼの兄)はモーゼの神に恐れを
抱き、ヘブライ人達を解放することを選んだ。
ヘブライ人達が自由になって獲得した新たな希望。
しかし、その民は、砂漠を乗り越え、モーゼについてゆくのだけれども
その殆どは神を信じられず、途中、不安に陥ったり、権威あるように振舞う者の
声に流され、堕落していく。
流されて、自ら足をつけて歩もうとしない。
自由を恐れ、自らの足で歩もうとしないのである。

そして「十戒」 神との契約 神の律法が民の前に現される。
強く、逞しく、雄雄しく生きたモーゼは、数十年たち、神の下へ召されていった。

■ 自らの今の状況に準えて・・・・

 今日は風邪をひいて熱を出したため、久々にビデオを見ようと、ふっと
手に取ったのがこのモーゼの「十戒」だった。
偶然にも、今の自分の状態に準える。
自分にとっては苦難の道だと感じた5年間。その5年のはじめにクリスチャンの方から
ある言葉を頂いた。

 ~ わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる
  それは平和の計画であって 災いの計画ではない 将来と希望を与えるものである
  そのとき、あなた達が私を呼び、きて私に祈り求めるなら私はきく
    わたしを尋ね求めるならば見出し、心を尽くして私を求めるのであれば
                      わたしにであるだろう ~と

自由となった今、何もないところから何をどうはじめていくのか。
人の声に流され、時に人の声に揺らぐ。
既成概念にとらわれるより、自らの本音はどうしたいのか。

必要なもの必要な時に現れる。いつもこの偶然がある。
映画の中にあった。「神によって導かれた道である」 ― 
思い悩むより、案外存在がいかされ、神に委ねたとき、導かれるものなのかもしれない。






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Last updated  2005.04.12 02:37:48
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