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![]() というのは 実家移転計画があって 静岡から 大磯の方に家を買おうかという話が出ていて 毎週私は 大磯の地に 物件探しに出ているのです。 平日の昼休みは銀行に住宅ローンの相談に。 今日は 富士から父母が出てきて 最初に 高来神社にお参りしました。なぜこんなところに?と聞かれたのですが 「先祖がきた地だから縁があるのよ」と言っておきました。 写真は神社の沿道に一つだけ曼珠沙華が咲いていました。 あ 高句麗が唐と新羅の連合軍に700年頃に滅ぼされ、若光王様を筆頭に王族貴族ら1790人が大磯の地にたどり着き、それから武蔵野の地を開拓した。秩父からは 和同開珎が発見され、また埼玉日高市 高麗川は若光王が 居を構えその地にいる人々と共に暮らしたと…。 狛江市や駒ヶ岳、小間…等高句麗にゆかりのある地なんだとか また、高句麗の子孫は歴史上の問題で 名前を隠して生きてきたという事情があるようです。 ルーツを明らかにすることは具合が悪いからとのいわれがあります。 以下は高麗から分かれた姓だと言われています。 高麗井、高倉、井上、新井、吉川、小谷野、新、岡登、岡上、中山、大野、加藤、金子、福泉、武藤、神田、阿部、和田、本所、芝木 (朝鮮と古代日本文化:司馬遼太郎、上田正昭、金達寿座談会) 最近、図書館で高句麗や渡来人の本を借りまくり、読みあさっているのです。 また、明治時代この神社を改築した一人に徳川頼倫という紀州徳川家出身の政治家がいます。神社の石碑に刻まれた名前から歴史を調べました。 もちろん先祖が徳川家康だったことはそうなのですが、なんと家康の息子に嫁いだ加藤清正公の娘が系譜を辿ると先祖にありました。 父の家系を改易されひとり紀州徳川の家に嫁いだ苦しみ… 未来にかけて死んでいったのではと感じました。未来に生きる子孫に想いを託してと… また、高麗神社は大磯町高麗というアドレスにありますが、この地にその紀州徳川家の藩邸があったそうです。 さてさて そんなゆかりのあるかも知れない地になぜきたかと申しますと… 偶然というか、必然というか… 「海がみたい」 という本音から始まったのですが 静岡と東京の間の地という条件と 週末目が覚めると 海の映像が見えてきて飛び起きて物件探しに出かけていました。地盤が良く気のエネルギーが大磯は良いのです。 父が実家の商売をたたむこととなりましたが、偶然小田原や平塚等に仕事のつてがあるというのです。不思議な縁かも知れませんね。 本当にすむかどうかはまだ分かりませんが、なんだか不思議な縁あって 両親とお参り出来て良かったな…と 感じています。 両親も 海風に 山々の緑が奏でる そよ風に癒されたのか 少し元気を取り戻して 帰ってゆきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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