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![]() 突然ですが… 家庭教師と塾講師をすることになりました。本業ではなくバイトです。 バイトでは、販売、、カメラマンの仕事等色んな仕事をしてきましたが、体育会系の仕事は年齢的に若干キツイものがありまして…笑 先生になりたいなと思ったのは、エチオピアコンサートがあった2001年。 ふとエチオピアでも勉強を教えたりするのはどうだろうと考えていました。 また、私の本音で 子供たちに何かをつないでゆきたい… という思いがあります。何かというのは未来に継承する精神。 出会いを伝え、教えたい、そして 日本の未来を担う子供たちを育ててゆきたい。そんな気持ちがあります。テレビ時代もそうでしたが、後輩にものを教えるのが好きだったのですね。また、自分自身も振り返ると自信を持たせてくれた先生に会えた時は 成績があがり、図工や作文等がうまく出来るようになりました。先生との出会いはとても子供たちにとって大切です。 仕事の成果をあげ、ただ達成するだけでは虚しく、人が輝いて生きる支援をしたい というのが本音に近いです。もっと仕事が出来なきゃ話にならないのですがね。 受け身でなく、これからは主体的に。人を育てようとすると自分自身も成長しているのです。 私は子供たちが、自然と集まる傾向があります。ふと、子供たちに囲まれていたり…。自分が子供だからなのかしら? 『未来に生きる命を育てよう』とという発想になると私の命の中に「母性」が大きくなってゆくのを感じます。自分が自分らしくあれる… 存在が生かされるような感じがしています。そして喜びがふつふつとわいてくるのです。 家庭教師の仕事、不登校児の指導を希望していましたが 人前でも話して下さいと言われ塾講の仕事もすることになりそうです。 教科は国語と社会。登録した会社からは報道での仕事経験や中東やアフリカに 行った経験があることをお伝えすると 是非、世界史の先生をやって欲しいです。とのこと 学力テストがあり 中学の国語のテストを受けてきました。パソコンを使うせいで漢字問題では漢字を若干忘れてしまいましたが、文章問題は満点。マスコミの仕事で自然と文章力がついていたのですね。書き手になって国語力がついてきたようです。 社会に出てから どうして勉強が必要かを痛いほどわかり「考える」ということをはじめて分かりました。 それで 勉強と本を読むことが好きになりました。22才のそれまで新聞さえちゃんと読むことができませんでした。 15才の時、悩んだこと。受験の意味。 いい大学に入り いい会社に入り 生きてゆく意味が分からず、なぜ生きてゆくのかわからず 15才の夏、腎臓の病気になりました。 その答え なぜ人は生きるか の問いは22才の時に出会った、斎藤忠光さんという先生に出会い解けてゆきます。その先に出会ったのはジャ―ナリストを目指す仕事です。 もっともっと 若い人たちが 自分の存在を知り そして資質を生かし輝いて生きることが平和な社会づくりに繋がると その為に たくさんの子供たちに出会いたい そう考えています。 こんな借金大国になってしまい、大人たちの失敗ばかりで未来を描けない日本だとしたら 私は 希望を伝え 精神を伝え 美しい生命が 犠牲になることがない 生命に矛盾のない社会づくりを継承できた時、私は天寿を迎えることが出来ると考えています。 やることが増えてきたので長生きしよう・笑。 ちょっと私の人生って 大きな山を創っているので 人には理解が厳しいかも知れませんが… 色んな経験が 未来に 実りを生む 「今」のこの時を歩む一瞬一瞬なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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