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谷中は寺町です。広大な谷中墓地は高台にありますが、墓地の西側は斜面となり、そこには大小数々の寺院が集まっています。そのうちの一つの観音寺の長い築地塀に沿って小道を行くと、道は深い階段となって谷中の低地に降り立ちます。初音の森の広場を背にして右手に曲がると岡倉天心記念公園があります。
明治の開国で西洋文明の衝撃を受け、軍事と産業で西欧との格差を見せつけられた日本は、西欧に追いつくのに悪戦苦闘しますが、絵画芸術の世界でも欧米に対抗して奮闘したのが岡倉天心でした。 岡倉天心は日本美の原点に立脚した新しい美術を実現しようと東京美術学校(現・東京芸大)や日本美術院を創設し、日本美の復権を目指したのです。訪れた記念公園は、岡倉天心が横山大観などの新進気鋭の画家達を糾合して新しい日本画革新運動を起こした日本美術院発祥の地です。 岡倉天心の旧居跡に作られた公園内には、後に活動拠点を移転した茨城の五浦の六角堂を模した堂があり、堂内に平櫛田中作の岡倉天心像のコピーが据えてありました。 (写真1、2、3) 記念公園の少し先には夕焼け段々で有名な谷中銀座の町並みがありますが、これは昭和生まれであり、記念公園に来る途中、通り過ぎた築地塀のある観音寺は江戸時代の赤穂浪士ゆかりの寺です。岡倉天心記念公園は、明治、大正に活躍した岡倉天心、横山大観たちの拠点だったところで、谷中の町には江戸、明治、大正、昭和の各時代の活動の記録が隣り合わせになった場所があるのです。 (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 岡倉天心記念公園 写真2 五浦の六角堂を模した堂 写真3 平櫛田中作の岡倉天心像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.11 17:30:54
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