築地市場は食文化展示場
お気に召したら 人気blogランキングへ魚市場発祥の記念碑が日本橋の袂の建っています。江戸時代には魚介類は日本橋の河岸に水揚げされて、そこが魚河岸と云われました。関東大震災で日本橋の魚河岸は焼失し、築地に引っ越して現在に至っています。魚河岸は江戸城内の台所を賄うために設けられたのですが、やがて江戸の庶民へ、東京の市民へ魚介類を供給する市場として発展し、日本中の近海モノから海外の遠洋モノまでがここに入荷し、それを関東一円に供給する一大基地となっています。築地市場を上空から見ると、扇を開いたような形をしています。外部からトラックが頻繁に出入りしており、場内の通路には「ターレット」と言う小さな三輪トラックが器用に走り回っています。卸市場ですから業者相手の売買が中心ですが、早朝の業者の取引が終れば一般消費者も買いものが出来ます。安くて新鮮だと云うので、消費者の来訪も次第に増えており、最近は外人観光客も日本人の食文化の現場を見学しようと訪れます。そこには一日中賑やかな市場風景が見られます。特に、お正月を控えた年末には多くの消費者が訪れて、狭い通路はごった返します。遠洋の冷凍マグロを斧で削ったり、日本刀のように長い刃渡りの包丁で近海モノのマグロをさばいたり、手早く魚の内臓を取除いたり、生きている貝が潮を噴いたり、見ていて少しも厭きません。築地の魚河岸は、江戸の中心地日本橋に発祥し、移転した先が繁華街銀座の近くだったので、その存在は久しく大衆の身近にあり親しまれてきました。しかし、今、場内が手狭になったので豊洲方面に移転するとの話が出ています。市場の流通の効率だけを求めて市民には不便な所へ移転すると、折角の食文化の姿が私達の眼前から消えてしまうのではないかと心配です。築地魚市場の場内情景を三枚の写真でご覧下さい。 (以上)