南千住汐入地域はリバーサイド・タウンに
写真1写真2写真3隅田川を遡行して北上すると、台東区南千住辺りで川の流れは向きを180度近く逆の方向に変えます。その曲がった隅田川の流れに挟まれた、半島のようなところが南千住の汐入という所です。北千住は、江戸時代に日光街道の宿場町があったところで、交通の要衝でした。と同時に物資の集散地でもありました。その名残りを北千住の旧日光街道の古い家並みに見ることが出来ます。北千住の東南に連なる南千住の汐入地区は、半島のように三方面を隅田川に囲まれた低地でして、明治以降、隅田川の水運と鉄道貨物の陸運とを結びつける交通の要衝となりました。江戸時代の物資の集散地としての地位を引き継いだのです。この汐入地区は、三面が川で囲まれていたため、関東大震災のときも、東京大空襲のときも、火災の被害は僅少で、往時の面影を残す建物が戦後も多数残っていたと言われます。しかし、昭和62年(1987)に、この地域の再開発が始まり、今や都会型の高層住宅地区に変貌しています。JR 南千住駅東側には汐入地区に続く広大な貨物鉄道の用地がありましたので、ここの再開発の規模はかなり大きなものになりました。それまでは、南千住の駅は JR 常磐線の駅だけでしたが、その後、地下鉄日比谷線、つくばエクスプレスと二本の鉄道が敷かれ、夫々駅が出来ました。お陰で汐入地区は交通の便利なところになりました。湾曲する隅田川沿いに建つ20階以上の高層マンション群は、都心に近い景観の良いマンションとして人気が高いそうです。(写真1)湾曲する隅田川沿いの岸辺は、細長い汐入公園です。緑の芝生が広がり、岸辺には葦が植えられており、隅田川沿いに川風が流れます。隅田川の土手上は赤茶色の舗装を施した遊歩道です。誠に自然環境にめぐまれた地域です。(写真2、3)千住一帯は、江戸時代には小塚原(こずかっぱら)という処刑場があったり、最近まで、やっちゃ場と言う野菜市場があったり、ドヤ街があったりして、土地柄は今一つ低く見られていました。しかし、汐入地区の開発と併行して、隅田川対岸にも高級な高層マンションが幾つか建つようになりました。やがて、隅田川を挟んだこの地区は、高級感のある大川端リバーサイド・タウンになるでしょう。隅田川河口近くの佃島には、大川端リバーシティ21があります。大川端リバーサイド・タウンは、それと対(つい)になって、隅田川の有名風景の一つになるでしょう。(以上)