ヨーコの話・・・┌(・。・)┘~♪
去年は「パダイヤギ」で大騒ぎしたが、新年早々から今度は「ヨーコイヤギ」だそうだ。事の発端は在米の日本人が書いた20年前の小説が、米国中学校の推薦図書に入っている事に対し、在米韓国人達が騒ぎ始め、あろう事か小学6年生の女子が抗議の登校拒否をする、という馬鹿馬鹿しい騒ぎに発展した。小説自体は、著者の経験を基に戦争の悲惨さを訴える、という類のものだが、中の一節に朝鮮人が日本人を殺害したりレイプした場面を目撃した、という記述がある為に、また例の如く「歪曲!歪曲!」と韓国人が大騒ぎしている、という具合だ。「第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発」元々韓国内での話ではないし、定期的に起こるこのテの「歴史問題祭り」は韓国人にとって、自己の存在理由を確認する為の年中行事の様なものだから、特に気に留めていなかった。 ~~~~~┌(・。・)┘♪オヤ?と思ったのは、昨日の日本語版中央日報の記事だ。「『竹の森遠く』最後まで読んでみたら…」この本は韓国では未だ出版されていないらしいから、国内で読んだ者はまだそう多くない。しかし、憎き日本人が書いた、歴史歪曲の書を殊勝にも読んでみようという人が、どうも居たらしい。言葉の端々から「悔しさ」が滲み出てはいるが、まぁ少しは「まとも」な部類の意見だ。(悔しさ紛れにか、最後に「アメリカのせい」としているのが、やっぱり笑える(爆))因みに韓国語版は書いた記者も内容も少し違う(元ネタは多分こっちだろう)。もっとストレートに、「この小説の何処が問題なんだ?我々の民族主義的偏見は行過ぎてないか?」と問うている。これは非常に珍しい事だ。何となれば、韓国の新聞において、日本絡みの話題でこのような「自省的」な記事が載ることは、ほとんど無い。況や外国語版に転載される事は皆無といってよい。それが日本語版だけでなく、何と今日付けの英語版にも同じ記事が掲載されていた。(こっちは韓国語版の翻訳)「[VIEWPOINT]Novel is not anti-Korean, it’s anti-war」 ♪└(・。・)┐~~~~~さて、中央日報の記事は、記事ごとに読者が意見を書き込める欄がある。韓国語版の書き込みを見てみると、記事の論旨に賛同する意見は皆無で、案の定100%が罵りの書き込みだった。曰く「お前は本当に韓国国民か?」「親日売国奴!」「殺人者(日本人)が書いた本を如何なる理由で褒められようか?」「加害者としての日本人が出てこない本なのにどうして可哀相だと?」等々...毎度の事なので呆れ果てる。全ての投稿者は、記事の内容を全く理解しておらず、ただ記者が「加害者」であるはずの日本人を「擁護した」と解釈し、その点にのみ反応している。そこには論理的思考や理性は微塵もない。悲しい事ではあるが、これが大多数の韓国国民の、否、民族教育の結果であり現実だ。「被害者」であり続ける事に存在理由を求めるのは、正しいかどうかは別にして、少なくとも健全ではない。------------------- 追記 -------------------------今日見たら、韓国語版・英語版の記事も日本語翻訳が掲載されてた。「<イ・フンボム時々刻々>ヨーコが言わんとしたこと」一体どうしちゃったの中央日報?