夢野久作「ドグラ・マグラ」
日本ミステリ史上に惨然と輝きを放つ三大奇書というのがある。
小栗虫太郎による「黒死館殺人事件」、中井英夫による「虚無への供物」、そして夢野久作による「ドグラ・マグラ」だ。
「黒死館殺人事件」は以前に読んで、その主客の転倒する程の衒学性に驚倒させられた。
物語を飲み込むペダンティズムはさながら枝葉に支配された大樹のようであった。
「虚無への供物」はまだ未読だが、既に買ってあるので、来月か再来月には読めそうだ。
さて「ドグラ・マグラ」である。
著者は怪奇、猟奇の王者夢野久作。
氏の作品は「少女地獄」を筆頭に大変に好きであり、これまでにそこそこ読んできてある。
しかし、この最大の代表作は今漸く読む事となった。
「キチガイ地獄外道祭文」「脳髄は物を考えるところに非ず」「胎児の夢」等々・・・精神病、精神異常について十二分に書き込んだ傑作長編。
延々著者の考察や論文のようなものが続くかとも思われたが、後半にはなかなかどうして物語は躍動する。
物語は精神病棟で目を覚ました記憶を喪失した男を視点人物に幕を上げる。
様々な精神心理の話が為され、一つ一つは抜群に興味深い。
しかしこれは異常な内容なのか、極々正常を書いているのではないのか。
今は何時なのか。
此処は何処なのか。
己は誰なのか。
全編通じてこの本の裡に確信は一つも無い。
「これを読む者は精神に異常を来す」と誉れ高い一作。
読了した私は異常に陥ってしまったのだろうか。
そんな気はしない。
しかし、実は元々異常であったのではなかろうか。
そもそも正常とは何だ。
我々が異常だと思っている状態が正常で、正常だと思っている状態が異常である可能性を誰が否定出来るか。
もしかすると我々はまだ、正常というものを知らないのかもしれない。
耳をすまして時計の音を聴く。
あの音が聞こえはしまいか。
・・・・・・ブウウウーーンンーーンンン ・・・・・・・・・・・・。