チェルノブイリ原発事故発生 26日の日記
クロニクル チェルノブイリ原発事故発生1986(昭和61)年4月26日 今日で34年が経ちました。この日午前1時23分に、当時のソ連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で大きな事故が発生しました。世に言う、チェルノブイリ原発事故です。ソ連国営のタス通信によって、この事故の模様が発表されたのは、事故2日後の28日夜のことでした。この28日にスウェーデンの東海岸一帯で、異常な数値の放射能が検出され、風上のソ連における原発事故の発生が推測されていたところでしたから、ソ連の報道の早さが余計に際立ち、正直に事実をありままに伝えた姿勢に、前年に就任したゴルバチョフ書記長による、新思考外交と情報公開の姿勢が、単なるポーズではなく、本物であることが、世界に認められました。最近では2日も経ってからでは遅いじゃないかと主張されますが、当時のソ連の隠蔽体質を知るものからすると、大変な早さだったことは事実です。さて、事故に戻りますと、事故は緊急時の発電実験中に、過剰な出力が発生して炉心が「溶融」して原子炉が大爆発を起こし、建屋が炎上した事故でした。事故で2人が即死し、消防士等29人が放射線被爆により死亡。8月までの急性放射線障害者数は203人に上りました。また、半径30km圏内の住民に避難命令が出され、住民13,5万人が住み慣れた故郷を後にしました。 今日に至るも、耕作放棄地はそのまま残され、周辺住民の避難も解除される見通しは立っていません。周辺住民の癌発生率は異常な高さを示し、放射線被爆の影響が指摘されています。周辺の放射性物質の濃度は、今でも異常値を示しており、原発の最終処理には、なお長い年月が必要とされているようです。 福島も、どれだけの時間が必要なのでしょうか。少なくとも政府や東電の公式見解の通りに運ぶとは思えません。