<承前>
松尾芭蕉は鶴岡にとっては行きずりの人。この地出身の文人と言えば、高山樗牛と藤沢周平。しかし、どちらも小生はその作品を読んではいないのであるから、ご両人について語るべきものを持ち合わせない(笑)。
中学・高校と同じ学校に学んだ友人のA君は無類の読書家にて、中学の頃であったか高校の頃であったか高山樗牛の「滝口入道」を読んでいたことがあったのを何故か記憶している。また、藤沢周平については、TVドラマや映画の「蝉しぐれ」、「たそがれ清兵衛」、「武士の一分」などで夙にその名は承知しているものの、これまでに読んだ彼の本はと言えば、新井白石を描いた「市塵」くらいなものであり、小生とは何故か縁の薄いご両人でありました。
<参考> 高山樗牛 藤沢周平
そんなご両人であるが、鶴岡にやって来た以上は少しばかりはその所縁の地を回ってみることと致しましょう。
先ず、般若寺。山王日枝神社から駅方向へ少し戻った処で路地を左に入って200mほど行った処にある。
(般若寺)
藤沢周平作品にゆかりの場所には上のような表札が立っているので、それと分かる。
般若寺から路地を西へ広い道路に出て南へ下ると「高山樗牛誕生地」という碑が、ごく普通の民家の門柱と車庫か倉庫のような建物との間に建っていました。地図で見ると山王町1丁目、山王日枝神社のほぼ西側になる。
(高山樗牛誕生地跡)
高山樗牛誕生地碑から50m位南の路地を右に入ると龍覚寺があり、此処も「蝉しぐれ」の舞台となっている寺。
(龍覚寺)
(「蝉しぐれ」では龍興寺という名で登場する。)
そして、再び内川に架かる大泉橋です。
(大泉橋と内川)
(「秘太刀馬の骨」では大泉橋は千鳥橋で登場する。)
大泉橋を渡って対岸を下流に少し行くと「昔ながらの内川」と表示された一角があった。藤棚があって藤が盛りと咲いていたので、藤の花越しに内川を撮ってみた。
(内川・奥に見える橋が大泉橋。その前が芭蕉の乗船地跡)
(同上)
大泉橋の方に引き返す。大泉橋の一つ上流の橋が開運橋で、内川は開運橋から大泉橋に向かって大きく右(東)に蛇行している。
下の写真で、川の曲がった先に大泉橋があり、そのたもとに芭蕉乗船地跡がある。
(内川・開運橋の上から)
この日は鶴岡の天神祭の日でもあるようで、鶴岡駅前をスタートして天神祭パレードが行われるらしい。
内川べりの緑地で出会った年配の女性とその娘さんと思しき若い女性の二人連れと言葉を交わすことがありましたが、自転車姿の小生を見て地元の人間と思って居られたよう。まあ、自転車姿ならそう思うのが普通ですな。何処でもそのように間違えられる。
女性は「ゆうざ」からやって来た、と仰っていたが、漢字が浮かばないのでお尋ねすると「遊佐」だという。言われても何処とは分らなかったが、後で地図で見ると酒田市の北、秋田県との境の手前に遊佐町というのがあった。年配の女性はご実家が鶴岡で遊佐に嫁がれたとのことだから、天神祭に合せての里帰り、といった処か。
(丙申堂)
丙申堂の前で出会った祭衣装の若者に話し掛け、写真に撮らせて欲しいと言うと、では笠を着けましょう、と事務所風の建物に行って、わざわざ笠を着けて出て来て下さった。
(天神祭のパレードに参加の若者)
言われは存じ上げぬが、タオルで顔を隠した姿で行列をするらしい。踊りも伴うのでしょうか。
親切な若者に礼を述べて、再び内川沿いに出る。
妙なデザインの欄干が目を引いた。千歳橋。
(千歳橋)
内川沿いを走り、鶴園橋で県道47号線を右(西)に入る。祭の人たちでいっぱい。先程の若者と同じ出で立ちの人も多く目につく。
一つ目の交差点角にタブノキの大木。この木は万葉に「つまま・都麻麻」として登場する木にてもあれば、無視もならず写真に撮る。
鶴岡の つままも見れば 幹太く 枝葉繁けく 神さびにけり
(偐家持)
(本歌) 磯の上の つままを見れば 根を延へて
年深からし 神さびにけり
(大伴家持 万葉集巻19-4159)
(タブの木)
説明板によると、この大木、町内会の人たちが大事に守って居られるようです。
タブノキの一つ先の信号を渡ると鶴岡公園。祭とあって、車を通行止めにして、屋台が並び、大勢の人が行き交っている。
その一角に高山樗牛の文学碑がありました。
(高山樗牛文学碑)
(同上)
文は是に至りて畢竟人なり、命なり、人生也
(同上副碑)
どうやら制限字数に。本日はここまでです。(つづく)