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偐万葉田舎家持歌集

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2017.03.23
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カテゴリ:銀輪万葉

 昨日は、9時45分に自宅を出発し、和泉市池上町と泉大津市曽根町にまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡まで銀輪散歩して参りました。正確な走行距離は分かりませんが、70km程度でしょうか。久しぶりのロングライドになりました。
 自宅から西へ、鷹殿交差点で外環状線(国道170号)を渡り、花園中央公園を横目に見て、東花園駅西側で近鉄奈良線の高架下を潜り、直ぐに右折して、近鉄線にほぼ並行している脇道を西へと走る。瓜生堂東交差点で中央環状線に出る。この時点で時計を見ると10時3分。ここまで18分。順調な滑り出しである。左折して中央環状線(府道2号)を南へと走る。この後、府道2号を道なりに進み(仁徳天皇陵の北側を過ぎた先で府道2号は国道310号となる)、堺区安井町交差点で国道26号(第二阪和国道)を左折、南へと道なりに行けば、自ずと池上曽根遺跡へと着くことになる。最も単純なコース取りである。
 中央環状線は近畿大学付属高校の前辺りで東大阪市から八尾市に入るが、ここから大和川を渡るまでの間の暫くは東大阪市、大阪市、八尾市が凹凸に接している区域を通過するので、東大阪市、八尾市、大阪市の市域を交互に出たり入ったりしながら進むことになる。そのことを教えてくれるのはマンホールの蓋の図柄である。
 中央環状線道路は久宝寺緑地を斜めに東西に分断する形でこれを通過する。トイレ休憩にと久宝寺緑地の東側区域に立ち寄る。公園の一画では20名近い年配の男たちの集団。将棋かと思いきや麻雀でした。少し離れた処では将棋をしている数名の男たちの姿もありました。麻雀の集団が賑やかなのに対して、将棋の集団は物静かである。これはゲームの性格によるのであろう。
 久宝寺緑地を過ぎるとJR関西本線の跨線橋となる。自転車は歩道側となるので、階段をMTBを担いで登ることになる。小生のMTBは11kg程度の重量なので、担いで登ることは造作もないことであるから、迂回して踏切などのある場所に回るよりもこの方が早い。今回のコースにはこのような場所が全部で4か所ある。偐山頭火氏との輪行では必ず迂回していたが、単独行では邪道の階段上りが定番なのである(笑)。
 午前11時少し前に大和川に到着。ここでも邪道の階段上りであるが、こちらはスロープになっているので、そのまま漕いで上ることができる。尤も、「自転車は降りて通りましょう。」とあるので、乗ったままというのは、邪道であることに変わりはない。

大和川・中央環状道路から上流を望む
(大和川・中央環状道路から上流を望む。)

 遠く二上山が見える。
 大和川を渡ると松原市である。
 3番目の邪道地点が近鉄南大阪線である。

近鉄南大阪線・中央環状道路跨線橋から
(近鉄南大阪線・中央環状道路跨線橋から)

 河内松原駅と恵我ノ荘駅の中間地点で跨線橋を渡る。
 右手奥に見えている小山は雄略天皇陵とされる大塚山古墳である。
  <参考>河内大塚山古墳

 雄略天皇と言えば、万葉集冒頭の歌「こもよ みこ持ち ふくしもよ みぶくし持ち・・」の作者とされる天皇。日本書紀などで描かれる人物像と違って、万葉では初瀬の丘で若菜摘む娘を口説いたり、夜に娘の家の戸口に立って「早くこの戸を開けよ。一緒に寝よう。」と言っては、娘に「奥床にはお母さんが寝てます。外床にはお父さんが寝てます。とても無理です。」と断られたりしている愉快な人物でもある。
 府道2号(中央環状線)は阪和道美原ロータリー高架下でほぼ直角に西へと向きを変える。道なりに進む。3km余で右手に公園の森が見えて来る。大泉緑地である。

大泉緑地
大泉緑地

 この緑地は訪問したことがないが、今回は入口付近のみ見て先へと進む。
 正午が過ぎていたので、向陵中町交差点手前にあったうどん屋さんで昼食。
 小生のMTBはスタンドを取り付けていないので自立不可、何か寄りかかるものがないと倒れてしまう。加えて盗難防止のためのチェーンロックを巻き付けて留める鉄柵や柱など適当なものが必要ということで、昼食場所もそれらの条件を満たした適当な駐輪場所があることが前提となるところ、このうどん屋さんは店の裏側の通りに格好の場所があったことで、「ここでいいか」と決めたもので、メニューなどは何でもいいというのがヤカモチ流昼食スタイルである。
 腹ごしらえも済んだので、再び銀輪を走らせる。仁徳天皇陵を左に見て、道は下り坂となる。下り切った堺区安井町交差点で左折、国道26号(第二阪和国道)を南へと走る。石津川を渡る手前の石津神社に立ち寄る。

石津神社 (1)
(石津神社)<参考>石津神社・Wikipedia 石津神社ホームページ

石津神社 (4)
(同上・拝殿)

 石津神社の祭神は事代主、大国主、天穂日の三神。
 事代主とは戎神・えべっさんのこと。七福神の一角を占めているが、この神のみが日本の神様で、他の6神は外来の神である。戎神社は各地にあるが、下掲の説明板に記載の通り、石津という地名は、戎神がこの地に降臨した際に五色の神石を携えて来たことに由来するとされ、この神社は日本最古の戎神社を称している。
 尤も、此処より、石津川を500mほど下流に下った右側(北側)、堺市西区浜寺石津町中にある石津太神社も戎神降臨の地であるとして、日本最古の戎神社を称しているから、「最古論争」は決着を見ていないのである。まあ、水掛論であるが、石の話だけに水に流すこともままならぬ、という訳である。

石津神社 (2)
(同上・説明板)

 鳥居を入った直ぐの処に古い石標があって、それには「日本笑姿初石津大社」とあり、此処が最古の戎神社であることを主張している。明和6年6月の銘があるから、1769年建立。350年近く前の古いものである。

石津神社 (5) 石津神社 (6)
(境内の石標)

 境内には、与謝野晶子の歌碑もありました。
 与謝野晶子の生家は堺市堺区甲斐町西にあったから、石津川までは2.5km程度の距離。晶子にとっては身近な川であったことだろう。ヤカモチにとっての恩智川みたいな感じか。

与謝野晶歌碑・石津神社境内
(与謝野晶歌碑・石津神社境内)

 その石津川も今はこんな感じ。護岸の石垣。19歳の面影を写した水の流れも素っ気ないのでありました。

おもかげを うつせし水の おもかげも 今はいづくや 石津の流れ (偐家持)

 さて、その石津川であるが、これも邪道の階段上り・下りのある場所。
 下掲左は上流側の眺め。往路で撮影。下掲右は下流側の眺め。復路で撮影したものであるが、並べて掲載して置きます。
 石津川と言えば、記憶にあるのは南北朝時代、北畠顕家と高師直との戦(
石津の戦い)で、顕家が戦死したのがこの石津川の畔であったという説があるということ。この川の下流の太陽橋北詰にも顕家の墓があることは、以前、大阪市阿倍野区の北畠公園にある顕家墓を訪ねた時に知って、何れは訪ねてみようと思っていたものの、この折はそのことをすっかり忘れていて、立ち寄ることをしないままであったのは迂闊なことでした。
 <参考>大阪市南部銀輪散歩(3.阿倍王子神社から住吉大社へ)2011.7.17.

石津川・国道26号から上流を望む 石津川・国道26号から下流を望む
(石津川)

 石津川を渡って、500mほど南へ行った処に大きな池があり、その手前にこのような表示板がありました。これから向かう池上曽根遺跡と同様の弥生時代の集落遺跡が此処にもあったということのよう。

史蹟・四ツ池遺跡 (1)
(史蹟・四ツ池遺跡)

 池上曽根遺跡と違って、こちらはご覧のようにただの空き地である。

史蹟・四ツ池遺跡 (2)
(同上)

 四ツ池遺跡を過ぎて少し行ったところで、道端にご老人が椅子付き手押し車を停めて座って居られました。「こんにちわ」と声をお掛けして通り過ぎようとしたら、何か仰いました。何かと引き返すと、バス停はこの辺りにあるか、というお尋ねでありました。「この付近の者ではないので、分かり兼ねます。」と申し上げて、先へと進みましたが、すぐに、JR鳳駅の所在を示す矢印表示が目に入り、また其処に交番もあったので、もしご老人が道に迷って居られるのであれば、とまたまた引き返して、「どちらに行かれるのですか。鳳駅がすぐ近くにあるようですが、と申し上げると、「散髪屋さんがこの道沿いに開店したというので、それを探している。」との答え。「何だ、このご近所の方であったのか」と苦笑しながら彼と別れる。次の信号の手前で左手を見ると、理容院を示す例の渦巻のディスプレーが目に入る。真新しい店のようであったので、ご老人が言って居られた散髪屋かもと再度ご老人の処へ引き返して、散髪屋がある場所を教える。すると、「あれは美容院」というご返事。
 自分ながら余計なお世話に苦笑。何をしているのだ、と思いつつ、先へと走る。
 やがて、池上曽根遺跡前という道路標識が見える。
 池上曽根遺跡到着は13時55分。昼食や休憩や写真撮影などのロスタイムもあるが、自宅を出てから4時間10分を要したことになる。
  <参考>
池上曽根遺跡

池上曽根遺跡 (1)
(池上曽根遺跡)

 池上曽根遺跡については、参考のリンクでお読み戴くこととし、ここでは割愛です。その名は予てより承知していて、一度は訪ねてみようと思いつつ、果たさずに来たものでありましたが、今回それを果たすことができました。弥生遺跡であれ、縄文遺跡であれ、万葉ヤカモチとしては、ちと古過ぎる時代のものにて、関心度は左程には高くない。とは言え、銀輪散歩の動機付け程度の位置づけに過ぎぬものの、現地に立って、古代弥生人がこのような巨大建造物を中心に大規模な集落を形成していた当時の生活の姿などを想像することは、いいものである。

池上曽根遺跡 (4)
(同上・説明碑)

池上曽根遺跡 (2) 池上曽根遺跡 (5)
(同上)

池上曽根遺跡 (3)
(同上)

池上曽根遺跡 (6)
(同上・想像復元図)

 さて、これより帰途につきますが、復路も概ね同じコースを走ることになります。しかし、記事アップにも些か疲れて参りましたので、此処までとし、復路はページを改めて、後日のこととします。また、お付き合い下さいませ。(つづく

 






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最終更新日  2017.03.24 17:08:42
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