地震による落下、空襲による焼失、そして…。幾多の苦難を乗り越えてきた1.6mのビッグ狛犬!地元の人々のあたたかな愛情に満ちた東神奈川熊野神社
大宮のシーズンは終わってしまいましたが、最終節のアウェー湘南戦の朝のお話。横浜の一つ手前、平塚までまだだいぶ遠い東神奈川駅で待ち合わせた兄さんとわたくしは、駅から3分程度のこちらへてくてく。 熊野神社(東神奈川熊野神社)。全国に3,000ほどあるという、割とよくある熊野神社のひとつ。お稲荷さんや八幡さま同様、たいへんポピュラーな名前だし、とりたてて大きな神社でもないため、自宅からけっこう近いですがこれまで気に留めたことはありませんでした。――が、今回ここに来てみた理由はそう、狛犬チェーック!d(。ゝд・)なんでもこちらの狛犬は狛犬愛好家の中ではたいへん有名な、関東一大きい(ホントかな)狛犬で、しかも幾多の苦難を乗り越えて今日に至っているそうな。これはぜひぜひ会いに行かなくては!o(゚ロ゚o)わくわくo( ̄▽ ̄o)(o ̄▽ ̄)o はやる心をおさえ一体ずつごたいめーん!まずは「阿」さん。 おお子抱き(´∪`*人)しかもポーズがかわええ 「阿」さんは大きな前足の先をちょん、子獅子ちゃんはそれにじゃれるような感じでなんとも心温まる親子の情景。ちなみに男の子のようです(*ノ∇)ゝ 続いては「吽」さん。 「阿」さん同様、張りだした胸板とがっしりした四肢がなんとも立派!特に足先、指のつくりがすごく立派で、しっかりとこの四肢を踏ん張ってこの地を護ってくれそう。↓横から見ると前脚の太さがよくわかります。細かな細工も立派! 後姿もいいですね~尻尾の巻き方もいい! ですが、ここまでの写真を見て「あれ?」と思った方もおられるかも知れません。そう。こちらのビッグ狛犬さんズ、修復の跡がかなり目立ちます。↓「阿」さんの後姿。立体的な彫刻部分と比べ、ぺろんとした箇所が。 ↓脚のあたりにも、他の部分と明らかに色の違う箇所が。 狛犬の修復自体は珍しいことではありませんが、 この最近の修復とは別、今をさかのぼること約50年ほど前に大規模な修復がなされたのがこの狛犬さんズ。それには深~いわけがあります。というのも、上の写真にあった通り、最初にこの狛犬さんがつくられたのは嘉永六(1853)年。そう、黒船来航で日本が大きく揺れ動き始めた年の、しかも神奈川!東神奈川は高台で海を見下ろす地形。人々が抱いた不安がどれだけのものであったかは想像に難くありません。この狛犬さんズがこれだけ大きく、とりわけ地面をとらえる四肢がたいそうしっかり造られたのは、ひとえに「この土地を護って欲しい」との人々の願いがあったのでは。彫ったのはこの辺りではかなり有名な名工「飯嶋吉六」さん、当時三十八歳。気持ちののったたいへん立派な作品です。ほれぼれします。しかし。この後さまざまな困難が狛犬さんズを襲うのです。受難その1。安政の大地震(完成間もない安政2年)で「阿」さんが台座から落下!Σ( ̄口 ̄*) 続いて受難その2。関東大震災(大正12、1923年)で今度は「吽」さんが台座から落下!Σ( ̄口 ̄lll)なにせこれだけのサイズ、重さもかなりのはずですが、いずれもすぐに台座に据え直されたとのこと。昔の人はすごいなあ。さらに受難その3。第2次世界大戦終盤の昭和20年5月29日、横浜大空襲により神社が焼失。この辺りはほぼ焼け野原になってしまったそうで、焼け残ったのは石製の鳥居と狛犬さんたちだけ。でも焼け残ったとは言え全身大火傷、ボロボロだったんだろうなあ(´_`。)ですが。最大の受難はこの後なんです。神社庁HPの説明によると、横浜大空襲の後はこう書かれています。「剰え境内地を米国駐留軍により接収使用せられたるに及び西神奈川町に還し奉り、鋭意御再建に努め、同38年8月現社殿を再建、その後鳥居、玉垣、氏子会館、戦没者慰霊碑を建設、同48年再建10周年記念事業として舞殿、社務所の増改築を完成し、旧観に復するを得た」ざっくり言うと、GHQに神社ごとつぶされて物資集積場にされたため、昭和35年に接収が解除されるまで存在していなかった(昭和38年に再建って書いてあるもんね)!その間狛犬さんズがどうなっていたかというと、受難その4。ブルドーザーで押し出され土手に生き埋めに(TT▽TT)ひどい、ひどすぎるよGHQ・・・。いくら焼け野原で神社っぽい体裁ではなくなっていたとは言え、これだけのサイズの彫刻、気持ちが入っていたことぐらい見てわかるだろう!o(゚ロ゚o)げに恨むべきは戦争、戦争反対!平和がいちばん!!!という訳で、落下(たぶん骨折しただろうなあ)⇒全身大火傷⇒生き埋めと、これでもか!これでもか!!と災難に遭い続けたかわいそうな狛犬さんズ。掘り出されたときにはさも無残なお姿だったに違いありません。それを見かねて「ぜひ修復を・・・」と申し出た左官屋さんのおじいちゃんがいたそうです。狛犬は原則的には石屋さんがコツコツ彫るもの。壁塗りが専門の左官屋さんは少々違ったジャンルですが、この狛犬さんズに強い思い入れがあったのでしょう、70歳近かった高齢に鞭打って、この大仕事をしてくれました。なので、修復箇所が「塗った」感じになっているこちらの狛犬さんたち。そうした部分も含めてたいへん穏やかで温かな、訪れた人を安心させてくれるお姿です。表情もすごく柔らかでいいんですよね~。ずうっと見ていたくなります。けどね、狛犬さんをはじめ、この神社全体にそうした地元の人々からのあたたかな信仰、あたたかな気持ちが感じられました。「手作り感」みたいな素朴な温かみがあるんですよね。↓拝殿はこんな。 ↓山車がおさめられているのかな? 焼け残った銀杏の木。とても立派で、吸い寄せられていくよう。 和歌山の熊野神社の宮司さんの書だそう。これも素敵。 熊野って、行く途中の電車の中から気分が悪くなったくらい(電車に酔った訳ではありません)パワーの強い土地ですが、こちらの熊野神社は完全に地元密着。昔から各時代に生きた人々がここに来て手を合わせてきた様子が目に浮かぶような、たいへん温かな神社さんでした。素敵だ国や県を代表するような大きな神社も荘厳でいいですが、地元にしっかり根付いた神社はそれとは別の魅力があります。ここ好きだなあ。もうすぐお正月、初詣シーズンですね。初詣ももちろん行きますが、私は年末の、初詣準備中の神社へ行くのもけっこう好き。いつもと違った雰囲気で、「もうすぐお正月だなあ」という気分になります。そんな訳で今年もまだ行こうと思っている神社さんがいくつか。寒さも本格化して来ましたが、フィールドワークは続くのです( ̄m ̄* )ではでは今日もお仕事!いってきまーす