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こんにちは、アロマのミワです。
今年の養生園も残すところあとわずか。 もうすっかり葉っぱも落ちて、だんだんと冬の感じになってきました。 養生園では最近、アフリカンダンスとキャンサーサポートプログラムという、趣の違ったワークショップが同時期に行われました。 アフリカンダンスは、「反省なし!」を合言葉に、体のリズムに届く音という波動を感じながら、ただただリズムに身をゆだね、体を動かす。するとみんな日常のとらわれや悲しみからパー!っと解放されて、晴れ晴れとしたお顔になってくる。 一方キャンサーサポートでは、軸となるのはインターバル速歩。この運動を続けることで免疫や代謝を上げることを目的としている。(それらばかりではないのですが、詳しい内容は先にみんなが書いたブログをご参照ください。) 私はこの2つのワークを通して、養生ということのあり方についていろいろ感じることがあったので、少しお話させて下さい。 私はナースとして、心療内科や、「在宅」といういわゆる終末期のかたや慢性疾患の方とその家族のケアにたずさわってきました。その中で、人がストレスやそれに伴う生活習慣のひずみから離れ、真の生きる力をとり戻すには、まず社会的なとらわれから離れて頭を空にする。「頑張る」や、「~しなければ」というものを取り除き、自分の心地よい感覚に身をゆだねる。それが大切なのだと思ってきました。 だからこそ私はアロマセラピーに魅かれたのです。 社会の中では努力することが常であり、そのために自分を酷使させている。そんな日々の中で、人の手でしっかりと感じながらほぐしてもらえるということは先に言った「生きる力を取り戻す」ために何よりもよい方法だと思ったのです。 そしてそれは全く正しかったと、アロマをすればするほど感じることであります。 での一方で、それだけではやっぱり十分じゃあないとも感じていました。 なぜなら、きれいごとばかりではない看護の現場で、様々な人を見てきた中、いやな言い方だけれど、やっぱり人は楽や心地よさには簡単に甘んじてしまうというのはあると思うのです。守られた中では生きる力は簡単に後退してしまう。そんなことも感じていました。 人には心と体と魂がある。心がイコール自分ではない。心を野放しにしてはいけない。 というのがヨーガの教えだったような… 私はキャンサーワークで、何よりも、意志の力というのを見たような気がします。 生きていく中で、どうしようもなく悲しいことは起こる。それに対してそれを静かに受け止める。そしてその中で出来る限りの幸せや快適さを見つけていく。そんなことでしか人は太刀打ちできないし、それを共有していけたらいい…ナース時代から私はそんな風に感じるようになっていました。 でも、キャンサーワークに参加された方々は、「インターバル速歩をして元気になろう!」という意思を動かした方々でした。最初はもしかしたら不安から手当たりしだいのうちの一つだったのかもしれないし、家族に強く勧められてだったかもしれない。でも、、インターバル速歩の話、癌の話を聞き、実際に歩いてみて、やってみようと思った方々皆さんは、だんだんととっても清々しい空気に溢れてきました。 そうして、その決意によって、新しい仲間を得、今まで知らなかった医療の問題点を語り合い、講義では現役医師に実感あふれる思いをぶつけ、医師たちが現代医療に対して考え込む場面も出るほどの変化を巻き起こしていました。 もちろん人には色々な側面があり、どうしようもない孤独や悲しみに暮れた時に、そっといたわるようなケア、それもとっても大切ですが、そればっかりではないんだなあ。と、腹の底に力が湧いてくる感じでした。 たとえば絶望に甘んじる生き方もできる。でも人間は運命に翻弄されるばかりの弱い存在ではなく、未来に向かって状況さえも変えていける強い力を持っている。 そのことにとても驚いていました。 アフリカンダンスで奴隷の踊りというのがありました。両手を鎖に繋がれたまま、それでも胸を張って上を見て、大地を踏みならし、、お腹を揺らして(お腹が揺れるのは健康の証、なのだそうです。)、力強く踊る。 アメリカにたくさんの奴隷が連れて行かれたころ、そのアメリカに将来大統領が出るだなんて誰が予想しただろう。 意志の力 希望の力 自分を許すこと、そして鍛えること 人間は無力なんかじゃあない ある日の朝やけ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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