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この泥沼はいつまで続くのだろうか。マグニチュード9という未曾有の地震、これだけでも大変なことであるが、そこに、14mは越えたかという大津波、これで大半の家屋は根こそぎになった。でもそこまでで終わらないのが今回の東日本大震災である。 勿論津波と同時発生的に起こった原発の事故が、この泥沼の事態をより一層やっかいなものにした。 地震予測や、津波の予測は、定性的には、比較的改善されて感知できる技術はあるようだが、この内容を一般国民が理解し、その報道に従えるかと言えば、まだまだという気がする。 天気予報などもそうだが、こちらの方は、当たろうが当たるまいが、(といっては一部に人達に叱られるが)「ま、いいか!で済ますことが出来るが、地震や津波の方はそんなわけにはいかない。要避難か否かは健常なものでも大変なのだが、ハンディキャップを持った人や老人などは特に一大事である。 それでも、津波予想をいち早く得られれば、未だ命は助かる公算がある。 問題はその後起こった福島第1原発の事故である。姫が買ってきた、日経ビジネス「東電の罪と罰」を読んだ。「『想定外』のウソ」で始まるこの記事は30ページに及ぶ。如何に東京電力の経営者(官僚達)の欺瞞があったかを、まざまざと知らせてくれる。 私にとって、この記事は決して想定外ではない。いつかは起こるが、このような3重苦の最後の仕上げとして起こると言うことはまさに想定外であった。素人の私でもそのように感じるわけだから当然専門家の人達は、こうなることを予測していた人達もいるわけである。 海江田経産相が「人知の及ばざる事態」とか発言し、私が、人知の及ぶというのはいかにも不遜だと、このブログで書いたら、いつもは余り反応がないのに、その時珍しく「人の揚げ足を取るんじゃねえよ」と口汚く書き込まれた。(即削除したが)、揚げ足を取るつもりではなく、人の知恵なんてものは、たかが知れていて、46億年経つと言われる地球発生から今までのことを知り尽くしているわけもないのに、つい瞬時のことなどは誰も想像は出来ないと言うことを言いたかったわけだ。 これも正しくはなく、予想はある程度出来たという過去のデータがあるにも拘わらず、その時期が何時で、その対策が十分でなかったと言うことなのだ。 もう一言、海江田経産相はバブル時の日本の好景気時に「もうこれで日本経済は盤石だ」と発言した男なのである。経済評論家としての時代だが、その程度の男の見通しで、現在は如何にと問うても、どこ吹く風であろう。 「『想定外』のウソ」というのは、想定すべしとの学者が居たにもかかわらず、これを無視したと言うことである。869年(貞観11)7月13日に三陸沖で震源8.3(MG8.0)の貞観地震という巨大地震と津波を意図的に無視したという点である。 この貞観地震では岩手県沖~福島県沖、または茨城県沖まで震源域が及んだ連動型超巨大地震であったという可能性が指摘されていて、現に陸奥国城下が壊滅的被害を受けたとされ、津波で平野が大海原になり約千人が溺死したと日本三代実録に記録されているというのである。この結果の考察は岡村行信教授によって再三指摘されていたにも拘わらず、結果は、反映されていないと言うことだ。 原子力工学は、先端工学であり、なかなか素人には理解しがたいが、それとて、ある一定の設計根拠に基づいて設計されているわけで、その根拠となる、経験工学的な、外力予想を敢えて、低く見積もったということである。 通常経験工学だと教えられてきた造船なども、航路によって、最大波高や、波長その他、風の条件など、勿論時化た時なども考慮して船体の設計を行っているが、過去のデータを大事に扱ってきた。そして、その上で、これから起こるかも知れない不測の事態に備えて2~3の安全率なるものを導入して、十重二十重の安全を考えているわけだ。 船舶の設計はよしんば、不測の事態が起こっても、その船舶が海中の藻くずになるというだけ(これを良しとするわけではないが)で済むわけだが、今回のように原発がダウンする(炉心融解)と、とてつもない被害と長年にわたる放射性物質との戦いを強いられるわけだ。 日本の国土面積は38万km2であり、それは、地球の陸地面積(1.5×10^8 km2)の1/400にも満たないのに、何故、55基という世界原発(432基)の1/8も集中しているのかである。他の国はどうなの?ときくと、例えば、中国は7割を石炭で賄っているとか言う話になり、石炭はCO2を出すが、原発はクリーンだ等という。どこがどうクリーンなのだと聞いても、彼らはそう言い張るだろう。 今日本地図を広げ、その上に原発の位置55基をプロットしたら、そして、その点を中心に現在は30kmが避難範囲とされているが、炉心溶融というもっと進んだ、チェルノブイリ級の範囲に及ぶとすれば、少なくも100kmの半径だとすれば、日本国中逃れる場所は無いと言うことになる。 「想定外の地震」は何度も発生しているのだが、設計者が(多分圧力が掛かり)考慮に入れなかっただけなのである。ということは、そのことを許した、原発会社や、政府の経産省官僚の天下り先である安全保安院をも含め、「未必の故意」で起こした罪である。現在死刑の内規は、凶悪とか色々あるが、情状の余地あれば減刑の判例もあものの、先ず2人以上を意図的に殺したら、その対象として裁かれるわけだ。 2011年4月30日現在(原発事故後51日目)で死者14,662人、行方不明11,019人(悲しいが、やがて殆ど全てが死者にカウントされるだろう)、建物の倒壊127,076棟を算定外としても、被害者25,681人を数えるに至っている。このうち何人が、原発そのものの放射性物質によって、殺傷されたかは明かでないが、世間を騒憂させた罪科を考えれば、明らかに、これに関係した責任者は獄門磔に値すると考える。 何人ものえらい人達が頭を下げる場面を、もう嫌と言うほど見てきた。頭を下げるくらいで済むなら、この類の事故は、また近いうちに起こるだろう。中電や、関電の社長は素知らぬ顔して、原発推進を早々と表明している。それは、事故が起こっても、原発推進を謳っても、その為に事故が起こっても、30度程度の頭を下げることで、済むし、悪くしても、職を辞することで済むという考えからであろう。 昔なら、市中引き回しの上、打ち首獄門に値するような所業も、「想定外でした」の一言で、「そうか、それなら、まぁしゃあないな」で済ますからである。事故を起こしたら、自分も死ななければならないし、これは連座制であるとするなら、原発推進行政はもう少し慎重になるだろう。 過去に、一寸した(?)事故は数多あるし、記録の改ざん、隠蔽など枚挙に暇がないにも拘わらず、監督官庁も放置していたわけである。 実は、この責任は、自民党にあるわけであり、菅現総理が、拙いやり方で、処理が遅れるなどといった事ばかりを攻める前に、国民の立場で、党派の利害を凍結して、真の犯人を挙げ、今後、原発を限りなく0に近づけるといった話に切り替えて貰いたい。 何で、間違った想定をした、責任者を処罰しないで、電力が不足するなら電気代を上げるぞと脅すのか、盗人の開き直りではないのか。 電力はインフラの中でも中心的位置にいるわけで、多少儲けて、懐が温かくなることは容認できても、安全に必要なコストをカットし、その分の利益で肥りながら、今回の事故で、詰め腹を誰一人切らないで、国民に公的資金で、賠償の肩代わりをせよというのは、どうにも納得がいかず、大銀行が、公的資金注入で救ったのとはまた意味合いが異なるように思える。 コストの面で言っても、1kwを発電するためのコストが、他のエネルギー源に比べ、原発が割安などと称しているが、核燃料最終処理に掛かる19兆円などを算定していない等のトリックが隠されている。先ず原発ありきという姿勢が正されない限り、我々は、だただた「想定外」(似非原発推進者の想定)のことが起こらないように祈るだけである。 「電力の鬼」と呼ばれ、東京電力の産みの親である、松永安左右エ門は政府の電力国家管理案に反対して「官僚は、人間のクズである」と言ったそうだが、民間の経営であっても、限りなく国営に近い既得権と、利益だけを追求する民間経営も、果たして良いのかという話になる。 利益の追求、安全管理の題目化、もう誰がやっても先行きは暗いと言わざるを得ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.01 09:13:25
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