|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日のウォーキングは高浜の堤から淀川の看板迄の往復だ。 余り変わり映えしないが、歩くことこそ本意なれと歩いている。早朝と言っても冬と違って明るいので、沢山の人が歩き出している。 今日はホメロスの「オデュセイア」の上巻をやっと読み終えた。「イリアス」の上巻を読み始めて既に3ヶ月を経ようとしているが、ウォーキング時だけに読むのだからなかなか進まない。明日からは「オデュセイア」の下巻を読み始めよう。 *** 今日はのんびりとして過ごした。何やかやと、新聞の切り抜きを眺めていたら、1年前の連載で「絵を買う人々」というのがあった。独文学者で絵画に精通している中野京子さんの入門講座だ。迂闊にも、5回の連載の1回目を紛失してしまったようだ。 何とか、ウェブ上で見つけたがやはり絵画は載ってなかった。で、取り上げられていたのがジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、通称バチッチャの作である「イエスの御名の勝利」だ。こんな人の名前など聞いたこともない。また作品を探し当てたがそれはローマのジェズ教会の天井画であった。 解説を読むともはや「どこまでが建築でどこからがフレスコ画か、境界すらわからない。ドームに穴でもあき、そこから聖なる光が降り注ぐかのよう。天使や聖人はどこまでも上昇してゆき、悪魔や罪人はこちらへ落下してくる」とある。 まるで天井が破れているような感じすら受ける。天井画に与えられたスペースから大幅にはみ出して、孔を通過するようにカトリックの教えが全世界に広がって行くというテーマだという。 もともと絵画は文字の読めない信者たちに聖書の教えを伝えるために作成されたのだから、之は宣伝効果満点と言ったところだ。 2回目はヴァン・ダイクの「狩猟場の王(狩猟場のチャールズ1世の肖像)」だ。 自然の中に立って、なお品位を感じさせる高度な色彩表現との解説だ。国王としての偉大なる威厳に満ち、品位を感じさせる高度な色彩表現と、性格をも描ききる人間味溢れる人物描写と称される肖像画の秀作だ。 もう1つはダヴィッドの「サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト」で、之は、肖像画をプロパガンダに使うために描かせたものだという。似ていようがいまいが、兎に角偉大に見せよとの指示で描かれている、同じ作品が5点もあるという。(テレビで紹介されていた) 3回目は、オランダの画家達だ。ハブリエル・メツーの「手紙を読む女」で、余りよく知らないが、フェルメールに似た作品だ。「手紙を書く男」との対の作品だ。オランダには画家が沢山いることや、日常の生活を作品に残したと言ったことが解説されていた。 もう1作はレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」でこの作品はよく見る。レンブラントがまだ駆け出しだった頃、メンバー7人がテュルプ博士と共に描かれることを光栄として若い画家に描かせたものだという。 4回目は、ルーベンスの「メドォーサの首」だ。恐ろしい絵画だが、見た者を石に変えるというメドォーサは、兵士の護符の役割を果たしていたと言うから、さもありなんか。ルーベンスが有名になったからこの絵を見る機会があるが、余り観たくない作品だ。貴族の館を飾る作品としては、それなりの意義があったようだ。数ある部屋の何処に、絵をどのように飾るかは、一つの作法があったようだ。 もう1点は、フラゴナールの「ぶらんこ」だ。女性をブランコに乗せ、それをしたから覗き込むといった色好みの男爵が道楽で書かせたものだという。洋の東西、今昔を問わずこういった類の人はいるものだ。 第5回目は、いよいよ印象派、モネの「日傘の女」だ。今まで見た宗教画や、威勢の良い肖像画などと違って、今までにない革命的な作品の登場だ。やはりこの辺りが見ていて楽しい。当時は一顧だにされなかったこんな印象派の作品を買い求めた画商のデュラン=リエルがこれらの作品をアメリカに持ち込んで大もうけをしたとのことだ。(アメリカが印象派を評価した) この作品がワシントンにあるのはそのせいだという。 もう1作は、ピカソの「ダニエル・H・カーンワイラー」だが、こうなると私の理解を超える。 しかし、ピカソにとって、自分の作品を理解したこのカーンワイラーは恩人だとのことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私もブログを書いているんですが内容が偏っちゃって(´ー`*)
私のあまり詳しくないジャンル記事もあって参考にしたいと思いました(*´艸`*) 私も書き方を参考にさせて頂いちゃおうかな♪是非、私のブログも見てみて下さいね☆ (2015.05.13 10:14:57) |