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我思う、ゆえに我あり

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yukie_yo

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December 31, 2007
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カテゴリ:時事
今年始めた当ブログ、何とか年越しできそうです。三日坊主に終わるのかと思いきや、何だか続いています。不思議といえば不思議。他人の目にさらされているのがいいのでしょうか。何はともあれ、今年は読んでいただいてありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いします。

で、昨日のブログに書いた内容にコメントがついたので、ちょっと反応してみる。

平和な日本に住んでいると、というより一国平和主義教育を受けていると、暴力に対する嫌悪感が先にたって、武力をもつことの理由がなかなか理解されないことがある。かくいう私も流血が大嫌い。健康診断で採血されるときでも、もっと少ない血で検査できないわけ?とつっこみたくなるくらい。

だけど、というべきか、だから、というべきか、自衛権、武力(威嚇を含む)を用いてでも自らの身は自分で守るということには敬意を払う。というより、当たり前のルールだと思っている。アジアのほとんどの国が植民地になっていった中、ひとり日本が全土保全のまま独立を維持できた(タイも独立国だったが、それも国土のうち2州をフランスに譲渡してやっとできた)のは、限定戦争(薩英戦争、下関事件)ながら列強と実際戦い、彼我の実力の差をまざまざと実感して欧米に追いつくべく明治期に血眼になって努力したから。

そりゃ、確かに武力は使わないに越したことはない。が、それほど世のなか、全員善良な人たちばかりではない。大学院時代の日本人の友人も言ったことがある、「自衛隊なんていらないじゃん。」いわれたこっちもびっくりだが、「じゃ日本が攻められたらどうする?」という問いに向こうも驚いていたっけ。日本が平和ってことはいいことなんだが、ここまで何も考えないのってどうよ?とも思う。

世のなか、デフォルト平和なのではない。競争は人間の本能の一部である。競争という言葉は広い意味で使っているが、ビジネスにおけば、競合との戦い、国家間の最悪な場合、戦争ということになる。つまり、いつ平和が壊れてもおかしくはない。

今、パキスタンは、ムシャラフ大統領が独裁色を強め、民主化を求める国民との乖離が広がり、国内世情不安定の中にある。さらに加えて、隣国アフガンで国内パワーバランスの重要なプレーヤーのタリバンが駆逐され、これまたパワーバランスが崩れてしまい、以降秩序は回復しておらず、こうした不安定性が隣国パキスタンに伝染している状況だ。

遥か遠くに位置する他国の人間にとり、別にどの民族の誰がパキスタンの国家元首となろうとあまり問題ではなく、どういう外交政策をとるのかが最重要である。が、近くに位置する国の有力者にとり、誰がどの民族出身者が元首となるかは非常に重要となる。自分の味方や同じ種族出身ならばすぐ友好的関係になれるが、敵対関係の種族ならば、要警戒である。

そうした食うか食われるかの状況の中、ブット元首相は危険を冒して本国に帰り、暗殺された。別に猟奇的にとか、個人的感情からとか短慮から暗殺者も殺したわけじゃない。暗殺者が守りたい家族や組織のためにやったこと。その方法が正しいとは思わないが、少なくても他人の命をもてあそぶおもちゃ程度に扱ったわけじゃない。

一方、長崎乱射事件はどうか?べつにそんな厳しい食うか食われるかの状況でおきた事件ではない。ただ単に拳銃をもてあそんだ事件だ。ちょっとしたことでキレた結果と言われている。

どちらもあってはならない事件だ。が、命の尊重、当事者の真剣さというレベルでは、全然話にならないと思うのである。





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Last updated  January 1, 2008 01:09:18 AM
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