カテゴリ:子育て
意外とここのところがむずかしいみたいです。 たとえば、私は弟が引きこもりをしていた頃、 特別なことは何もしませんでした。 特別なこと、というのは言い換えれば 余計なこと、と言ったらよいのだと思います。 たとえば、「いい加減に仕事をみつけなさいよ」とか 「こんな状態を続けていてどうするの? もっとちゃんと考えなさいよ」と言った言葉でしょうか。 引きこもりをする子どもを持つ親ならば、 子どもの将来を案ずるあまりそのように あせってしまうんですね。 前回記した、泣き止まない子どもに関しても同様です。 泣き止まない子どもを抱くと 何とか泣きやまそうとあの手この手を聾します。 何かに意識を向けようとやっきになってみたり・・・ 私は、ただその子の不安が解けるのを一緒に待っていただけです。 お母さんと言って、部屋の外を指差す子どもがいれば、 一緒に部屋の外に行きます。 それから、「まだお母さん帰ってこないね」といって 一緒に待ってあげます。 「すぐに帰ってくるからね」というように言葉で あやしたりはしなかったです。 そのうちに落ち着きを取り戻した子どもは、 自然と遊ぶことに目を向け始めます。 そうすれば、もう大丈夫です。 今でこそ、そのことを言葉にできますけど 以前は言葉にならない感覚的なものとして 私は自然に行っていました。 相手がのぞむことを肌で感じ取っていたという言葉の 表現が正しいのかもしれません。 これを今風の言葉で言えば、 コーディネーター力というのでしょうね。 その場を読む、ということ。 さて、今日の写真は去年次女が作った雪うさぎです。 今この雪うさぎをモデルにパッチワークの作品を作っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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