カテゴリ:子育て
私が子育てについて完璧な親を目指しているわけではないんです。 むしろ自然体といったらよいでしょうか・・・ 20代の頃より、自分を育てた親の 子育てについて考えておりました。 今は自分の子育てに自らの体験を照らし合わせながら、 悪戦苦闘しているのが本当のところです。 先だって兄が妹を殺してしまったという 女子短大生遺体切断事件の犯罪心理学を読みました。 二人の子どもを失ってしまった、 もっと子どもたちの気持ちを聞いてやればよかったと、 言ったという親の言葉が、以前より私の目に止まっておりました。 もちろん、子の幸せを願わない親はありません。 ただ、親自身が子どもにレールを敷いてしまったことが 災いをもたらしたのだな、とふと思いました。 親はそんなつもりはないというのかも知れません。 むしろ“そんなつもりはなかった”という子育てほど 怖いものはありません。 なぜなら無意識のうちに、結果を生む原因を 作り出していたということになるからです。 子どものためを思って敷いたレールが 子どもにとって負担となっていることが 見抜けてなかったということなんですよね。 「いや、私は方向転換をするように進めた」と いうかもしれません。 でも、子どもがその時点では自分の道を決められなくなっていたのです。 親の敷かれたレールを走ることしかできなくなっていたのです。 なぜここまで見抜くことができるのかというと 私の弟もまた親によって敷かれたレールを 何も考えずに生きていたからです。 自らが脱線するまでは・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[子育て] カテゴリの最新記事
|
|