カテゴリ:子育て
不思議なんですけれどもひとつのことを書き出すと 次から次へとテーマが向こうからやってきます。 それは、可愛いエミリー(L.M.モンゴメリの小説)がいう、 光のカーテンの向こうにあるインスピレーションが 突如としてやってくる、という感じです。 そしてそれに色づけしてくれるのが、 ブログに書き記したことに対するコメントだったりします。 私は教育を魂のレベルで考えることを心がけています。 そして、かつて読んだ本で得た知識を 自分の経験の中で照らしあわして、 あらたにな視点を見出していくようにしています。 人は、何も考えなければ自分の過去の経験と 自分の感情に基づいた行動を起してしまいがちです。 無意識、というものにはそのような背景があります。 親が敷くレールとはそのようなところから出てきたものが多いですね。 自分が大学にいけなかったから、子どもには大学に行かせたい、とか 代々医者の家系だから子どもたちも当然その道をいって然るべきだ、と。 親がレールを敷くことが悪いとか そのレールに乗ることが悪いという問題なのではありません。 魂のレベルで見通せば、 あえてその子どもはその親を選んできたのです。 偶然とは必然、という言葉が言い表しているように その子どもが置かれた環境とは、ある意味 その子に与えられたものであるんですね。 もちろん、問題を起さないですめばそれにこしたことはありません。 実は、起きてしまった問題を後悔するよりも もっと大事なことがあります。 その経験はその子の選択により、起きるべくして起きたことなんです。 失敗した、というのは世間が規定することであって その失敗から、大切なことが学ぶことができるということなんですよね。 ある事件を子どもが起したときに 「私はこんな子どもに育てたはずではなかった」というのか それとも「私は子どもと共に罪を一生背負って生きていきます」と言うのか。 どちらも事件後に親が、マスコミで語った言葉です。 (記憶の中の言葉なので正確ではないかもしれませんが) それらの言葉の背景には、大きな違いがありますよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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