第414回 【都電の残像編(68)】 一ツ橋(ひとつばし) 後編
(前回からのつづき)一ツ橋交差点から白山通りをもうしばらく先へ進むと、日本橋川を渡す一ツ橋の北詰に出ます。かつての都電の線路はここを左折し、日本橋川に沿って神田橋方向へと通じていました。日本橋川の上空は首都高速都心環状線の高架で蓋をされ、日の当らない川面は薄暗く淀んでいますが、一ツ橋は大正14年竣工のコンクリート橋がまだ現役の姿を見せており、都電時代を見つめてきた貴重な土木遺産のひとつにここでも触れることができます。橋は家康の江戸入府の頃に架けられたといわれ、架橋当初は一本の丸木橋だったことがその名の由来といい、徳川御三卿のひとつとなった一橋家は、神田橋にかけての日本橋川右岸一帯に広大な屋敷地を構えていました。橋から下流方向を見通すと、右岸側には江戸城内濠時代の石垣の一部が残され、高速道路下の味気ない景観の中に、由緒ある歴史の一端をかろうじて見ることができます。また、橋の南詰側にある丸紅の敷地内には「一橋徳川家屋敷跡」の碑もあり、説明板には往時の敷地が現在の気象庁から大手町合同庁舎付近にまで及んだことが記されています。一ツ橋というと、一橋大学の名を思い浮かべますが、一ツ橋手前の白山通り西側、現在は学術総合センターや如水会館のある一画が、旧称東京商科大学、後の一橋大学の跡地です。大学は震災による罹災後、国立市へ移転しました。↑↑↑ブログランキング参加中です。