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バス停地名学のすすめ

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2009.04.25
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カテゴリ:千代田区
(前回からのつづき)

バス停から、日本テレビの裏側へと歩いてみます。番町といえば、やはり「皿屋敷」ですが、主人公お菊の奉公した青山屋敷のあったのが、一説では日本テレビ付近といわれるようです。井戸で夜な夜な皿を数えるに至るストーリーには様々なバリエーションがあるようで、岡本綺堂の『番町皿屋敷』や、皿を18枚まで数えて「明日の分も数えた」というオチになる落語の「皿屋敷」なども含め、日本人には幅広く親しまれてきたポピュラーな怪談です。お菊が髪をふり乱し、帯を引きずりながら逃げたとされる場所が帯坂で、現在は市ヶ谷駅に近い五番町と九段南4丁目の境を北へ下る通りがそれにあたっています。

しばらく歩き進むと、行人坂に出ます。近くに行人が住んでいたことに因むとするのが『御府内備考』の説のようですが、定かではありません。その南には南法眼坂があり、行人坂を元来は法眼坂と称したことによるといいます。行人坂の北には東郷坂があり、これは坂の東側に東郷平八郎元帥邸があったことに因むもので、明治期の命名ですが、江戸期にはここも法眼坂と称したようで、要するに南北に長い法眼坂を、起伏にあわせて三つの坂に分割したような具合になっています。

東郷邸跡地は、東郷元帥記念公園となり、現在も周辺住民の憩いの地として賑っています。公園の東側には、大正15年竣工の九段小学校の校舎が隣接しています。窓部にアーチ型の意匠を凝らしたデザインに見応えがありますが、当時のドイツ表現主義の影響を受けているといわれる名建築です。今も現役の校舎であるところが、何よりも嬉しいといえるでしょう。

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最終更新日  2009.04.26 02:08:44
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