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バス停地名学のすすめ

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2009.10.07
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カテゴリ:千代田区
バス停データ
◆所在地:千代田区 ◆路線:都営バス[東98]系統他

みなさん、こんにちは。

芝園橋から日比谷通りを北上したかつての都電5系統は、日比谷公園の東側を抜けると、左手に皇居日比谷濠を望むようになり、やがて皇居外苑へ通じる馬場先門前の交差点から鍛冶橋通りへと曲っていきました。その曲がり角にあったのが馬場先門電停で、現在はこの場所に、都営バスと東急バスが相互乗り入れする[東98]系統のバス停が立っています。

秋空の下、濠端から二重橋方向を望むのびのびとした皇居外苑の景観は、無意識に深呼吸が出るほどの澄んだ開放感で溢れています。交差点名も含め、この場所は一般に馬場先門と呼ばれていますが、厳密には馬場先門跡と称すべきでしょう。門があった頃は濠を渡す橋が架けられ、馬場先門橋と呼ばれました。由来は定かでないようで、古くは閉め切りの門だったことから「不明御門(あかずのごもん)」と呼ばれたといいますが、寛文8年(1668)の大火の際に門を開き、以後は通行が自由になったとも伝えられます。近くに馬場があったのかどうか、文献により様々な説がありますが、朝鮮使節の曲馬術を上覧した場所とする説もあるようです。維新後、他の江戸城外郭門が撤去されるなか、馬場先門は残置となっていましたが、明治39年、日露戦勝記念の凱旋道路が皇居外苑に開通の際、橋とともに撤去されました。

馬場先門を背に、かつての5系統が走った鍛冶橋通りを望みます。明治期、レンガ造のビルが建ち並ぶ様から「一丁ロンドン」と呼ばれたオフィスビル街の先駆けが、この通りです。

(次回へつづく)

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最終更新日  2009.10.07 11:57:22
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