第254回 【幻の橋編(20)】 泪橋(なみだばし) 後編
(前回からのつづき)吉野通りは、隅田川貨物駅の入口あたりから地下をくぐって南千住駅北側へと抜けますが、これは自動車専用のアンダーパスで、歩行者は貨物線に突き当たると歩道橋でそれを越え、地下鉄日比谷線の高架とJR常磐線の築堤を続けてくぐり抜けるようになっています。その二本の線路に挟まれるようにして立っているのが、小塚原刑場の歴史を見つめてきた首切地蔵尊です。この地蔵は、刑死者の菩提を弔うために寛保元年(1741)に建立され、もとは貨物線の手前あたりにあったようですが、明治28年から現在の位置に移されたとのこと。地蔵への入口に、「史蹟小塚原刑場跡 首切地蔵 延命寺」とありますが、延命寺は昭和57年に隣接する回向院から分院独立したもので、首切地蔵がかつては延命地蔵とも呼ばれていました。線路に挟まれて、住宅地からは隔離されたような首切地蔵一帯ですが、明治期に刑場が廃されるまでに埋葬された死者の数はおよそ20万人にのぼるといわれ、遺体に土をかけた程度の雑な埋葬が多かったせいか、周辺は異様な臭気に包まれ、野犬が横行するような荒涼とした様子がしばらく続いていたといわれます。後の日光街道の拡幅工事などの際には、浅い地中から大量の人骨が発見されるというエピソードも残されています。泪橋交差点に戻り、明治通り南側の台東区清川地区を歩くと、そこは簡易宿泊所の林立する、いわゆる山谷ドヤ街の中心地です。「ドヤ」とは「宿」を逆さに読んだものといいますが、ここへ来るとその説にも肯けるものがあります。近年は、ドヤ街も日雇労働者が集うだけの街ではなくなっているようで、簡易宿泊所を廉価なホテル代わりに利用する観光客も多いとのことです。