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バス停地名学のすすめ

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2007.04.27
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カテゴリ:荒川区
(前回からのつづき)

松の根元には、寛文8年(1668)の銘がある庚申塔が建っています。もともと一本松とともにこの地にあったもので、かつてこの場所は小高い丘のように盛り上がり、庚申塚と呼ばれていたそうです。

一本松から町屋の住宅街を東へと入ると、少し先で隅田川右岸のコンクリート護岸に突き当たります。その手前に、一本松の渡しについて簡単に説明した荒川区教育委員会の文化財案内看板が立っています。かつてこの付近の隅田川に、対岸の足立区千住緑町との間を往き来する渡船があったことを伝えるもので、現在は青い水管橋の架かるあたりがその跡地のように思われます。隅田川ももう少し下流へ行けば、川沿いがテラスとして整備されたりしていますが、この付近は2メートル以上はありそうな堅固なコンクリート護岸が延々と続き、川の姿をまったく見ることができません。せっかくの渡船場跡も、看板で往時を偲ぶのみとなっています。

渡船場跡から隅田川護岸を右に見ながら歩くと、第7峡田(はけた)小学校があります。都心部の区立小学校には、旧地名(町名)を残したままの学校名が数多く見られますが、この峡田の地名も、現在となっては「なぜ峡田?」と思うほど縁遠くなってしまった古い地名で、町屋から三河島あたり一帯が江戸時代に東叡山寛永寺領の峡田領と称したことに因むといいます。

ここまできて隅田川が見れないのは残念と思い、しばらくコンクリート護岸に沿って歩いてみましたが、やはり護岸の切れ目は見つからず、やむなく尾竹橋通りへ引き返しました。

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最終更新日  2007.04.27 21:50:54
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