星の国から。ヴァン・ノアール
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シンガポール在住19年。コロナ禍の2020年にブログを始めた初心者ですが、趣味のワイン、絵画、旅行、読書やシンガポー宜しくル情報等を書いています。
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初めて東京の「国立西洋美術館」に行った時に一番印象に残った絵が「Kees Van Dongen (キース・ヴァン・ドンゲン 1877-1968)」の「カジノのホール」でした。 「カジノのホール」1920年 松方コレクション 「並木道」アーティゾン美術館蔵(旧ブリジストン美術館) どうして一目見て惹きつけられたのか今ではあまり覚えていませんが、それから数年して東京のブリジストン美術館(現アーティゾン美術館)に行った時に興味を惹かれたのが同じくヴァン・ドンゲンの絵だったのに驚きました。 その時買った画集には「第一次世界大戦後、社交界の肖像画家として成功を収め、一躍画壇の寵児となった。ドンゲンが一貫して好んだ主題はパリの洗練された女性たちであり色彩画家としての資質を生かしながら都会生活の華やかな側面を官能的に描き出した」と書かれています。 その後「パリ市立近代美術館」で「スフィンクス(菊の女)」や「エルミタージュ美術館」で「黒い帽子をかぶった女性」を見ましたが、この2枚の絵ほど惹きつけられる物はありませんでした。 オランダの酒醸造業の家に生まれオランダで絵を学んだ後、1899年にパリに転居し1910年頃にピカソに誘われて家族(妻と娘)と共にピカソが恋人のフェルナンド・オリビエと住んでいた集合アトリエ兼住宅の「洗濯船」で一緒に暮らしています。 その時描いたピカソの恋人「フェルナンド・オリビエ」の肖像画です。1905年頃から「フォービズム(野獣派)」へ傾向していった様子がマティスの「緑の筋のある女」とよく似た緑色の絵の具の使い方からもよく分かります。目の周りの官能的なピンク色や赤い唇はピカソの影響もあるのかと想像します。 晩年は「駄作」しか描けなくなったと何かの記事で読んだことがあります。作家にしても画家にしても才能の枯渇というものはあるのかと思いますが、晩年も含めて私には依然興味を惹かれる画家の一人です。アーティゾン美術館を検索するとオンラインショップで来年のカレンダーがまだ販売中でその中の6月がヴァン・ドンゲンの「シャンゼリゼ大通り」でした。 ワインショップ「ワインコネクション」のオランダ人スタッフにゴッホだけでばなくヴァン・ドンゲンの事も話したところ「ふっ・・」と謎の微笑みを返されてしまって今でも気になっています。次回ワインを買いに行った時に、微笑みの意味を確認したいなぁと思っています。
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