テーマ:晩学のすすめ(495)
カテゴリ:菜園と株と釣りを楽しむ日々
惟精惟一、工夫上説本体。無声無臭、本体上説工夫。
「惟れ精惟れ一」とは、工夫の上に本体を説き、「声無く臭無し」とは、本体の上に工夫を説く。 「工夫」は、本体を極めるための修養方法で学問、読書、静座、実践などすべての形式を含む。 物には皆、体と相がある。例えば、机の木は本体、机は相、それで読み書きするのは用。 「本体」は、本然の性で、良知である。「精一」は、心を精一にすること。 心の本体は「惟精惟一」であり、心の相は喜怒哀楽様々に現れる。 それを「無声無臭」にしてゆくのが修養上の心の用である。 以上、川上注記から抜粋。 と言うところで、ちょいと難解な本文を自分なりに考えてみる。 心を精一(一つのことに心を傾ける)にする工夫が心の本体を説く(明らかにする)。 その心の本体は「無声無臭」である。そうなるための工夫がいる。 究極の「心身合一」は心の本体が「喜怒哀楽を」超越し「無声無臭」になって完成する。 そのためには様々な修養、工夫が大切である。で、心の本体とは? 難しくてよく分からない文章である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 19, 2007 03:00:15 PM
コメント(0) | コメントを書く
[菜園と株と釣りを楽しむ日々] カテゴリの最新記事
|
|