加地訓で読む4度目の論語50;公冶長5-5
或曰、雍也、仁而不佞。子曰、焉用佞。禦人以口給、屡憎於人。不知其仁也。焉用佞也。 或るひと曰く、雍(よう)や、仁にして佞(ねい)ならず、と。子曰く、焉(いずく)んぞ佞を用いん。人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以てすれば、屡々(しばしば)人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん、と。雍とは冉雍(ぜんよう)のこと。字(あざな)は仲弓(ちゅうきゅう)。孔門十哲の一人。佞(ねい)=弁が立つこと。この言葉に悪い意味は無い。(加地訳注)禦(あた)る=当に同じで、応対すること。(同上)口給(こうきゅう)=口才、弁が立つに同じ。(同上)或る人が言った。雍(よう)は、仁徳の人であるが弁が立たない(口下手)のが惜しい、と。先生は言われた。どうして弁が立つ必要があろう。人と交わるのに弁舌に任せると失敗してしばしば憎まれる。(雍を口下手だと言った)彼は、雍(よう)の仁徳が分かっていない。(仁者に)どうして弁の立つ必要があろう。 雍也6-1子曰、雍也可使南面。 子曰く、雍(よう)や南面せ使(し)むべし。 先生が言われた。「雍は立派な政治家になれる器量の人材である。(南面させてもよい)」 南面=天子や諸侯は政庁で南向きに座り、政治をとった。「南面させてもよい」とは諸侯足りうる人徳・器量の人物との意味。