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カテゴリ:桜花(さくらばな)
【桜花(さくらばな)】
午前四時三十分、窓際に置いたシンデレラの絵が描いてある目覚まし時計は、目を覚ますといつもこの時間だ。微かに彼らの足音が聞こえてくる。ベッドを降りて窓を開けると、それははっきりと聞こえてくる。サラブレッド達が、大地を踏み締めながら走る音が。 お馬さんの公園の前のこの病院に初めて来たのはいつだったか、私は覚えていない。 でも、この頃は、パパの居るお家より、たくさんここに居ることは確かだ。「桜は体が弱いから、お金がかかって大変だ」と、昨日、お母さんが、親戚の叔母ちゃんに言っていた。私のせいで、苦労かけているのかな。どうすれば丈夫になれるのかな。誰に聞けばいいのかな。 私、桜っていう名前、嫌いだ。お向かいのお兄ちゃんは、「日本一きれいな花の名前だから、日本一いい名前だよ」って言ってくれたけど、私、桜の花、一度も見たことないもん。お兄ちゃんは、「そばで、満開の桜の花を見たら、きっと桜ちゃんも、大好きになるよ」って言っていた。私が生まれた日に、ちょうど、桜が咲き始めたから付けたってお母さんは言ってたけど、昨年も、その前の年も、四月三日のお誕生日はここに居たし、昨年なんか、咳も熱もひどくって、サンソっていうテントの中に居たから、窓を開けてお馬さんを見ることもできなかったもの。 お兄ちゃんは、いつも、いろいろな事を教えてくれる。お馬さんの公園は、本当はケイバジョウっていうんだって。大人が夢を買いに来るところなんだって。夏にたくさんのお馬さんが集まって走る時は、お祭りみたいなものなんだって。お祭りだったら、きっと夢もたくさん売っているんだろうな。そこに行けば、私の夢も買えるかもしれない。もしかしたら、そこらへんに落ちているかもしれない。早く元気になってパパのところへ帰りたいという、私の夢が叶うかもしれない。 一月二日 今年のお正月もまたこの病院で迎えてしまった。昨日は、特別メニューとかいっておしるこが出た。薄いあんこの汁の中に入ったお餅は、おはしでいくら探しても一つしかなかった。そういえば、クリスマスの時も特別メニューだったっけ。チョコレートの三角のケーキが出て、すごく嬉しかったけど、あとで吐いちゃった。おかげで次の日から三日もおかゆになっちゃった。ついてないな。 午後三時四十分になると、お母さんが、来る。四時の夕ごはんには、いつも居てくれる。チンチン電車の道の向こうから、お母さんは歩いて来る。もうひとつ向こうの国道を、左に曲がったバス停のところが、パパのいるお家だから、結構近いらしい。でも私は帰れない。お母さんはいつも色紙を買って来てくれるし、ここのごはんにはない、おいしいものも持って来てくれる。でも私はパパのほうが好きだ。何でってわからないけど、私はパパが大好き。パパは消毒の臭いが嫌いだからと言って、病院には来ない。一度も来てくれたことがない。本当は、昨日ちょっぴり期待していたんだ。お正月だから、「新年おめでとう」って来てくれるんじゃないかって。でも、お母さんだけだった。もしかしたら、パパは、病院が嫌いなんじゃなくて、病気の私が嫌いなんじゃないかな。どうしよう、パパに嫌われたら困る。元気になってお家に帰って、大きくなったら、パパのお嫁さんになるんだから。 二月二日 昨日の夜から、雪が降っていた。朝起きると、辺りは、真っ白だった。私が一番好きな白い馬も、キラキラと輝く雪の中を、元気に走っていた。お兄ちゃんが言ってた。お馬さん達は、サラブレッドっていうんだって。駆けっこの速いお父さんとお母さんから生まれた、みんなおりこうで、元気な子ばかりなんだって。私はサラブレッドにはなれないな。走れないもん。この間、雪が降った日に、こっそり屋上に行って走ったら、夜、咳がいっぱい出ちゃったし。でも、そういえばお兄ちゃん言ってたな。白い馬は、少ないし、茶色いのに比べて、走るのもあんまり速くなかったり、体が弱かったりするって。本当かな。お兄ちゃんは、いろいろ教えてくれるけれど、これは信じられない。それと、白い馬って、生まれた時は白くないんだって。アシゲっていって、だんだん白くなるんだって。生まれた時から白いのも、シロゲっていっているらしいけど、これはとても少なくて、さすがのお兄ちゃんも、まだ見た事ないって。 お兄ちゃんは、お向かいの大きな部屋に居て、時々、遊びに来てくれます。お兄ちゃんの部屋は、四人部屋だけど、私は、一人なので、誰か来てくれないと、寂しいです。お兄ちゃんは、名前はワタルというそうです。「横断歩道を渡る。の渡? 」って聞くと、「航空の航」と書いて教えてくれました。お兄ちゃんのお父さんは飛行機が好きで、そう付けたそうです。お兄ちゃんはお腹を切って入院していますが、お仕事は電車の車掌さんです。病院の前を走っているチンチン電車じゃなくて、飯坂とかいう電車だそうです。「パイロットと電車の車掌さんじゃ、同じ乗り物でも大違いだね」って笑っていました。私は、男の兄弟がいないので、本当のお兄ちゃんのように思えます。 お兄ちゃんの他にも、私の部屋には、いろいろな人が来ます。本当は、この下の階が小児科で、子供がたくさん居るのですが、ベッドがいっぱいで、私は、ひとつ上の階になりました。石田のおじさんは、自転車屋さんです。牛乳が嫌いで、牛乳が出ると私に助けを求めてきます。それに、私の部屋からは、お馬さんがよく見えるから、好きだそうです。昨日、おじさんに、五目並べを教えてもらいました。とても、おもしろいです。お礼に、折り紙で、くす玉を作ってあげました。来週には、お家に帰れるそうです。 三月二日 まだ、パパの居るお家には、帰れそうもありません。この間の日曜日に、熱が出てしまいました。「お外に勝手に出たからですよ」と、先生に叱られました。だって、私は見つけたんです。落ちている夢の切符を。 日曜日は、お馬さんの公園に、いっぱい人が集まって来る日です。土曜日もそうですが日曜日ほどではありません。この間の日曜日は、風が強かったみたいで、いろいろな物が風に舞っていました。入口のところを見ていたら、小さい紙が、何枚もひらひらと、落ちていました。注射のお姉さんに聞いたら、あそこで売ってる、バケンっていうものだそうです。きっとあれが、お兄ちゃんが言っていた、夢の切符に違いありません。あれを手に入れれば、私の夢が叶うのです。 三月十六日 この間は、失敗したけれど、今度は、絶対あの切符を見つけに行くんだ。早くしないと、私の五回目のお誕生日が来ちゃう。お友だちはみんな、幼稚園の年少さんとかに行くんだから。 今日は中学校の卒業式だそうです。窓から見える第二中学校にも、着物を着たお母さん達が入って行くのが見えました。 そう、この間、いとこの弥生ちゃんが、お見舞いに来てくれました。弥生ちゃんは私より、五センチ位、背が高いです。弥生ちゃんが、私のこと、うらやましいって言っていました。弥生ちゃんのパパに聞いたらしいんだけど、小学校に入ったら、出席番号っていって、生まれた順番に一番、二番なんだって。「四月二日生まれの人が、一番だから、桜ちゃんは、きっと一番だよ」って。弥生ちゃんは、三月生まれだし、背も高いから、どちらにしても後ろの方なんだって。どうして、四月二日生まれの人が一番なのか、わからないけど、小学校に入ったら、教えてもらえると思います。 昨日、航お兄ちゃんが、退院しました。帰る前に私の部屋によって、また、馬の話をしてくれました。東京の方には、神様の馬がいるそうです。私は、一度だけ、東京の叔母さんの家に行ったことがあります。その時、モノレールとか、動物園は見たけど、競馬場は見ませんでした。神様の馬は、日本一強くて、名前は、シンザンというそうです。私は同じ年の四月二日生まれだそうです。「桜ちゃんと同い年だね。桜ちゃんも、シンザンみたいに、強くなるんだよ」お兄ちゃんは言っていました。 へえー。四月二日生まれだったら、私の前の日が、誕生日だね。出席番号、一番だね。だから、一番強いのかな。私と同い年で、大人に神様って呼ばれるなんて、尊敬します。私もシンザンみたいに、強くなりたいです。 四月二日 先週、夢の切符を探しに行こうと思ったら、土曜日に、雪が降りました。スリッパだと滑るし、落ちている切符は、濡れてしまっているだろうし、あきらめました。お金をだせば、新しい切符が買えるみたいだけど、おこづかい無くなっちゃったし。それに、子供は買えないって、お兄ちゃん言っていたっけ。 お向かいの部屋にお見舞いに来たおじちゃんが、夢の切符を持っていました。初めてそばで見ました。桜色で、プツプツと穴があいていて、とてもきれしでした。トッケンって言って、高いそうです。あの中に、たくさんの夢が入っているんだろうな。うらやましいな。「それ、ちょうだい」と言いかけてやめました。ダメです。あれはおじちゃんの夢です。人の物を取ってはいけません。夢は自分で手に入れるものなのです。今日は神様の馬の誕生日です。今日こそは・・・。 競馬場に子供がいるのは、別に変った光景ではありませんが、その少女は目立ちました。一人で、しかも、まだ風が冷たいこの季節に、パジャマ姿で。病院を抜け出して来たのでしょうか。辺りを気にしながら、南側の門のところに来ると、人が捨てて行った、ハズレ馬券を拾いだしました。一枚、二枚、三枚、警備員が声をかけようとすると、少女は駈け出して、裏口から、病院の中へと消えて行きました。 息を切らせて、でも、こっそりと、病室へ戻った少女は、握りしめていた馬券を、ベッドの上に出しました。夢の切符を手に入れたんです。それも、三枚も。これで、夢が叶う。一枚は、明日の自分のお誕生日のプレゼント。もう一枚は、パパのお土産にしよう。少女は、一枚を枕の下にしまいました。そして一枚を、おばあちゃんに買ってもらったトッポジージョのおさいふの中に小さくたたんでいれました。 もう一枚の切符は、破けていました。それに、泥だらけです。少女は、ていねいに小さくちぎると、窓を開けました。 「さくら~さくら~」小さな声で、でも、はっきりと、少女は歌い出しました。それは、保育園に行ったお友だちが、教えてくれた歌でした。歌いながら手を広げると、小さくなった、夢の切符は、ひらひらと、空を舞いました。春まだ浅く、桜の蕾もまだかたい四月の空に、桜色の夢は、桜の花びらのように空を舞いました。少女は、ほほえみながら、いつまでも、それをながめていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.04.09 09:21:14
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