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カテゴリ:映画☆観劇☆スポーツ観戦
白川の一本橋(行者橋)を渡るマーロン・ブランドを見て、「ロケ地巡りをしよう!」と思い立ったのは昨年の7月末。
空港はどちらもよく行くし、娘の所へ行けば東京はすぐに周れる、京都は近いしさ〜 と軽い気持ちで始めたが、思ったよりも時間がかかってしまった。 大覚寺かも?と当たりをつけて行ってみたらハズレで、帰って来たその夜に、実は龍安寺だったと判明したときは思いっきり脱力した。その日、龍安寺前の〈きぬかけの路〉を西から東に向かって走っていたから。 日数かけてかなり検索したのにわからず、ハズレたその日に判明する、、、 そんなものなのね。 約60年前の映像とほぼ一緒の所あり。高度経済成長、バブル期、その後の時代を経て様変わりした所あり。自己満足だけど楽しかった。 ♪ ♪ ♪ 主人公の少佐が韓国から日本に配属が変わり到着する場面 輸送機から降り立つのはITAMI AIR BASE、現在の大阪国際空港(伊丹空港)だ。 お出迎えの将軍夫妻の後ろに、くっきりと六甲山系が写っていた。 映像には甲山がかなり鮮明に映っていた。 現在のターミナルビルには何の面影もないけれど、山はそのまんま。 伊丹空港は昭和14年開港。敗戦後は接収されてITAMI AIR BASEという名前になった。 接収解除は1958年なので、ロケ時は占領軍基地だったということだ。 伊丹空港と同い年の母との会話で、「大阪空港」という名前は出ない。100%「伊丹」と言う。 関空ができる前から伊丹は伊丹。 ♪ ♪ ♪ 少佐の友人になるベイリー大尉が日本人女性をオフィサーズクラブに同伴しようとして撃沈する場面 ロケ地をまとめてくださっているサイトによると、ロサンゼルスのレストラン(現在もハリウッドにあるYAMASHIRO)と京都の景色が交互に映っているとか。ロサンゼルスに行く予定はないので、京都のほうだけ。これは映画を見て場所がすぐにわかった。 ウエスティン都ホテルの9階テラスから 平安神宮の大きな赤い鳥居と京都市美術館はそのまま。他の建物は変わっているけれど、緑地の広がり方はあまり変化していないようにも見えた。 その当時海外から京都ロケに来たのなら都ホテルに泊ってて、その敷地内で撮影したのだろう。 ♪ ♪ ♪ リカルド・モンタルバンさんが大奮闘する歌舞伎の場面 ここはまとめサイトで場所が特定されていなかった。 緞帳には、左下に「高島屋」、右上に『月桂冠』の文字。 初め歌舞伎座かと思ったが、伏見の『月桂冠』が気になり、それなら南座かしら?と見ていると、客席上部にぎっしりと並んでいる赤い提灯の模様に見覚えがあった。 (祇園で撮影) 劇場で見たのでなく、祇園の街で見ていた。 祇園甲部の〈つなぎ八つ団子〉の提灯。 祇園甲部の提灯がぎっしり並んでいる劇場なら祇園甲部歌舞練場じゃないかと、客席内部の画像を検索すると、ピンポ~ン! 花見小路沿い、建仁寺近くにある祇園甲部歌舞練場 1913年(大正2年)竣工で、祇園甲部の『都をどり』が上演される劇場。 歌舞練場の中に入ったことはないので、残念ながら客席の写真はない。 ♪ ♪ ♪ 少佐とフィアンセの気持ちがすれ違い始める場面の背景 高台寺近くの料亭からだそうだが、ホイホイ行ける所ではないので、50mほど北、高台寺の駐車場に上がる階段から撮った。 法観寺の五重塔(八坂の塔)が見える「ザ・京都」な景色。 だいぶ角度は違うけれど、これで我慢することにする。 五重塔以外で映像に映っていて今もある建物があった。 かなり大きめで洋風な建物。1933年に建てられた京都市立清水小学校で、赤いスペイン瓦の屋根が特徴的。 こちら料亭『京大和』の入口。 万が一行く機会があったら、写真を差し替えよう。(まぁないわ) ♪ ♪ ♪ マツバヤシ歌劇団生が劇場と寄宿舎の間を行き来する橋 京都御苑内にある仙洞御所の八ツ橋。 御所でロケって、今じゃ考えられない。 環境省管轄の御苑ならともかく、宮内庁管轄の御所だもの。 撮影当時の日本の立ち位置がわかる。 かなり撮影に時間をさいたと想像できるほどシーンが多い。 “出待ち”に座っていた橋のたもと。 州浜の石のところは現在立ち入り禁止なので、マーロン・ブランドが座っていたところには座れない。 ベイリー大尉と少佐が打ち解けて話をする横にあった灯籠 大尉が少佐に橋の説明をするところ 劇中ではブロマイドショップのようになっていたが、実際は醒花亭という茶室。 オープニングにも仙洞御所が使われていた 紅葉橋 葭島(よしじま) 六枚橋 part.2へつづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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