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昨日は赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日でしたね。 私の子供のときはこの時期になると、オールスター総出演での忠臣蔵が製作され毎年のように上演されたものです。市川右太右衛門、片岡千恵蔵、大川橋蔵、中村錦之助等、皆故人になりましたが懐かしいですねぇ。 この赤穂浪士が討ち入り時に使用した刀ですが、実は信頼できる記録は残っていないようです。泉岳寺に赤穂浪士が使用されたとされる刀の記録が残っていますが、この記録そのものが信頼できる物ではなく後世の作り物だとも言われています。 討ち入り後、いくつかの藩に分かれてお預けになっていますが、その藩にも浪士の佩刀に関する記述は残されていないようです。 只、細川藩の堀内伝右衛門でしたか、大石の佩刀は相州物のようであったとの事が書き残されているとも聞きますが定かではありません。 討ち入りに参加した浪士は身分の低い武士が多く、佩刀にしてもたいした刀が持てるはずもない事は容易に想像できます。 後世の作り物と言われる泉岳寺の記録を見ても、銘鑑にも載っていない名も無い刀工の作がほとんどです。 実際の浪士の佩刀も、これ等の刀と大同小異だったのだろうと考えられます。 確実な記録が残っていないのはいまさらながら残念ですねぇ。 しかし、大石内蔵助を介錯した刀は現在まで大切に伝世されているようです。 細川藩にお預けになった大石を介錯した人物は安場一平と言う藩士でしたが、その介錯刀は確か無銘の祐定と記憶していますが、介錯以後は研がずに御子孫の家に伝世し、その時に付いたすり傷が現在でも残っているとのお話でしたね。(某番組に出演されたときの話です) いずれにしても興味深い話ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.12.15 10:29:51
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