愛犬と愛刀と共に刻んだ年月
今年もあと僅かになりました。拙いブログですが今年も何とか続けてこられました。読んでくださって有り難うございました。後何時まで続けられるか分りませんが、愛犬がそばにいる限り続けたいと思っています。年初には体調を崩していた愛犬ですが、治療の甲斐あり何とか元気を取り戻してくれました。愛犬のカニンヘンダックスのラッキーも、もうすぐ十八歳になります。私が他出する時以外は何時も一緒です。眠るときも、私の腕の中で安心して熟睡します。犬としては高齢で、何時何があってもおかしくありませんが、今の処ご飯もよく食べて元気です。最近は、年を重ねたからか昔のことを良く思い出します。我が家で生涯を過ごした犬や猫達、それぞれ犬種や性格は違っていても、我が家を護り一生を過ごし我が家の土に還りました。刀と犬とは全く交わることは無いのですが、刀は趣味として犬は家族の一員と認識して、どちらも大切に接してきました。今の私の年齢を考えると、愛犬のラッキーと共に過ごせるのが最後と思っています。後何年?何日元気でいてくれるか解りませんが、生有る限り安心してくつろいで毎日を過ごさせたいと思っています。私の膝の間でくつろいでいます。愛犬と共にこよなく愛玩している刀との関わりですが、初めて刀を手に持ったのは中学生の頃だったと記憶しています。【過去ブログに記載したかも知れませんが、重複しているようならご容赦ください。】父親が大小の刀を持って帰っていたのを、父親の留守の時に抜いて見ていたのが最初でした。その後、タンスの奥に隠していたのを、出しては抜いて見たりしていましたが、後には斬ってみたくなり、枯れた物干し竿を立てかけて斬ってみたりしていました。上手い具合に、白鞘と拵えが付いていましたので、拵えに入れ直しては竹を斬ったりしていました。剣道は部活で習っては居ましたが、日本刀を振るのは初めてでした。刀が良かったのかどうかよく解りませんでしたが、不思議と物干し竿を斬っても何故か刃毀れはしませんでした。刃筋を通す事も知らないまま、今思うと何と無茶なことをしたのかと、身が縮む思いです。此の刀の拵えの鞘が、黒呂色の刻み鞘でした。柄前は半太刀金具だったと記憶しますが、鐺には鉄金具が付いていて、此の拵えが今でも私の原点となっています。刻み鞘が好みなのは、此の拵えの影響かも知れません。銘が有ったのは覚えていますが、何という銘だったのかは長銘だったことも有り今でも記憶に残っていません。脇差に関しては、はっきりと覚えています。【備州長船在光】と銘のある平造りの小脇差しで有ったと記憶しています。記憶を辿ると、表裏どちらかの平地に色変わりが有ったような。今から思えば、研ぎ減りで心鉄が出ていたのかなぁとも思っています。刀は大分後年になってから、父親から【備前国長船与三左衛門祐定】の在銘だったと聞かされました。残念ながら審査に出したら偽銘だった由でしたが、これらの刀を父親がどうしたのかは聞かずじまいでした。是が私が刀に関わることになった最初です。此処から私が刀を購入するまでは数年の歳月を要するのですが、その間は刀剣からは離れており、好きな時代小説や、歴史雑誌【歴史と旅、歴史読本等】をよく読んでいました。其の雑誌の中に刀剣の通販誌の広告が出ており、此の通販誌を取り寄せた事から、刀剣に対する興味が再燃したように思います。伯州住秀春の乱れ刃です。刃長2尺5寸2分有ります。此の拵えも後日詳細に記載するつもりで居ります。其れまでは、刀の古本、通販誌や展示即売会などで見たりしながら、何時かは自分の刀を持ちたいと思っていました。この頃小雑誌で、強靱な刀として伯州住秀春刀が取り上げられているのを目にしました。その時に、何時かは伯州住秀春の様な強靱な刀を持ちたいと思うようになった訳であります。何年かして、通販誌で見た東京での展示即売会で刀を買おうと現金を懐に上京しました。色んな刀を見せてもらったのですが、予算と合致する刀が少なく【この時は脇差は念頭に在りませんでした】やむなく無銘の刀を購入して帰宅致しました。私が28~9歳の頃だったと記憶しています。其れから、何年かは此の無銘の刀を鑑賞して楽しんでいたのですが、鑑賞するに付け無銘で有ることに引っかかりがあり、在銘の刀を持ちたいと思うようになりました。丁度その頃、当地で刀剣の展示即売会が開催され、この時に在銘の郷土刀の下取りとして此の無銘刀を手放しました。其れからは、近隣の刀剣店に出かけることが多くなり、気に入った郷土刀や裁断刀などを、ポツポツながらも購入してゆく事になります。有名刀工の刀も欲しいと思ったこともありましたが、如何せん高額で相当に無理を重ねることになりそうなので、残念でしたが購入を断念したことも何回かありました。最後に、私と犬との関わりは、物心つかない様な子供の頃から、我が家では番犬として犬を飼っていました。多くは柴犬の雑種だったと記憶しますが、我が家では犬達との生活が途切れることは有りませんでした。何時も我が家の犬と戯れていたことを思い出します。それぞれ性格の違う犬達が、常に我が家を護り番犬として生涯を全うしてくれました。当時は今のような愛玩用の小型犬では無く、柴や四国犬の様な中型犬が殆どでした。現在の小型犬のように室内で一緒に暮らすのでは無く、番犬として冬の寒さや夏の暑さにも耐え忍び、寿命は現在のように決して長くはありませんでした。其れでも、10年位は番犬として我が家を護り続けてくれました。重複致しますが、思い返せば、何頭もの犬達が我が家と共に、我が家を護り我が家の土になって還って行きました。今でも、我が家で暮らした犬達は幸せだったのだろうかと、自問する事がよくあります。両目を開けていますが視力はありません。私と一緒に居るときが一番安心出来るのでしょう。【あなたが元気でいてくれることが、一番の親孝行ですよ。ラッキーちゃん】室内で小型犬と一緒に暮らすようになったのは、先年急逝したヨークシャーテリアのモモちゃんと、ダックスフンドのラッキーちゃんが我が家に里子としてきてからです。2007年の夏頃でしたか、縁有って二頭揃って我が家に嫁入ってくれました。此のブログを始めて間もなくの頃でしたが、二頭の成長を見守りながら拙いブログを綴って来ました。あれから16年、残念でしたがモモは先年15歳で急逝しましたが、今月の22日で18歳になるラッキーは、何とか元気で暮らしています。一頭では淋しいだろうと思い、先年ポメラニアンのマルちゃんを遊び相手として妹として迎えました。年が大分離れているため、一緒に遊ぶ事はないのですが、私が帰宅したときなどはマルが吠えてラッキーに知らせているようです。ラッキーは目が見えなくなり耳も聞えにくいようですが、マルが吠えて知らせてくれるので、私が帰宅したことが解るようになりました。一緒に暮らせるのも、もう余り長くはないかも知れません。ですが、生有る限り、安心してくつろいだ犬生を送らせたいと願っています。間もなく今年も過ぎ去ろうとしています。重複致しますが、今年も拙いブログを読んでくださって有り難うございました。どうぞ皆様方もつつがなく良い年をお迎えください。