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カテゴリ:世がヨガ余が善が!
以前、「ヨガの喜び」という本を、このブログで推奨したが、この書を読み進めるほどに、この書の偉大さに感服する。
「ヨガの喜び」沖正弘著 光文社知恵の森文庫 である。 そこで、少し抜書きする。 心と体を強くするの章に、心を柔軟にするという項目がある。 「○心を柔軟にする 柔軟さとは、言い換えると、心の幅が広いことである。ちぢむ力と伸びる力の幅が広いこと、許す心と許さない心、嫌悪と愛情、この幅が広いほど、心はやわらかい。 だから、どうしても嫌だと思ったときは、徹底的に嫌だと思えばよい。どうして嫌なんだろう、好きになるにはどうしたらいいかなどと、ぐずぐず考えると、幅は狭くなるばかりだ。 そのうちに、嫌だという気持ちに飽きてくる。人間はそれほどしつこく、ひとつのことを思いつめられるものではないからだ。そこではじめて、じっくりと、自分が嫌がっていたことを好きになる方法を考えてみる。 仕事や勉強を、やりたくないというのは自然な考えだ。どんなにつらい仕事でも、おもしろくない勉強でも、楽しくてしょうがない、と言ったら「うそ」であり、またそう思うのは無理である。 おもしろくないことがあったら、嫌がりながらでも、それをなんとか喜んでできる道を探す事だ。 心でも体でも、逆の刺激を同時に加える練習をすれば、柔軟になるのである。かといって、好きだからそれしかしないというのも偏った考えだ。一方ばかり力を集中させると、心にも偏りができる。バランスをよくとること。勉強と遊び、叱るとほめる、この幅が広いほど成果は上がる。 つねに逆の心を同時にもつ訓練が、心のバランス法である。」 つまり、心の柔軟性とは、一方に偏らず、かならず、反対側の心を同時にもつことだという。嫌悪と愛情というように、嫌悪感を追求しつづけると、反対側の愛情にかえってくるというのである。 そういえば、第一印象の悪かった異性が、付き合って行くうちに、嫌悪感の印象が逆転することがあるというのは、この心の柔軟性になるのだろうか? つぎに心を安定させるという項目がある。 「○心を安定させる それにはまず、自分や自分の生き方をじっくり考えて、自分とは何かという主体性をつかむことである。こういう事件が起こったら、自分は、自分にどうさせたらよいかをよく知っていなければならない。 たとえば椅子は、自分にちょうどよいものでないと座り心地が悪い。同様に他人とは考え方が違っていても、それは当たり前なのだ。 自分がほんとうに感心し、信頼でき、ほれ込めるものをつかむことも大切だ。このようにして自分が管理してはじめて、自分の自由や進歩がある。人の真似をすることは、奴隷になることだと思った方がよい。」 「○悟りをひらく 大切なのは、まず、自分の考えをもつこと。それは同時に、人を納得させられる真理でなくてはならない。 体験のない人が自分の主張らしいものをすると、少ない知恵だけに固執するから、いっけん意志強固にみえる。しかし、これは自分や世界の本当の姿を語ってはいない。つまり、自分の都合とか利益といった「はからい」の心が強い。 真理とは、他の人に、細かいところに意見の違いはあっても、根本的に頷いてもらえる考えのことだ。それはもはや自分の意見を言っているのではなくなっている。 (中略) 『ぼくは…。』とか、『でも、私は…。』と自分の立場ばかり主張するのはまちがいだ。 私はいままで、人に言い負かされたことがない。なぜなら、私はわからないことは言わないからだ。自分で実証し、理解し、体験していないことは絶対に口に出さない。 それでは、どうしたら、悟りが開けるのか。 悟りとは、自分の心が如実(真実)と一つになること(如来という)である。物事の本当がわかって、それが自分の考え方と生き方になっていることである。 地球上に沖正弘(著者)は私一人だから、私の生き方は、私が自分でつかみとらなくてはならない。そして、この問題を、私はこう処理する、という自分なりの考えをもつ。それがないと、人間としての成長はない。自己喪失者だ。 社会とは、悟りを開いた人間の集まっているところであるべきだ。羊は、一頭が走り出して崖から落ちると、あとに続くものも全て同じ行動をするという。これと同じようなことが、人間社会に起こってはならない。他人の考え方の奴隷にならないことだ。」 特に、最後の悟りを開くは重要なことをいっているように思える。戦中の日本は、他者の考え方の奴隷になっていたといえる。全て軍国主義に染まり、その思想を押し付けられ、命を戦場に投げ出すことを強いられたからである。 昨今、このような戦中の日本の社会に戻っているような気がしてならない。二度と小泉政権なんて御免蒙りたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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