四次元思考を獲得するために その1
以前、八切史観を、このブログでも紹介したが、戦国時代、つまりこの国の中世の人たちは、どうやら輪廻転生を信じていたようである。 例えば、武家の「お家大事」というのは、家系さえ残っていれば、輪廻転生で再び生まれ変わってくることができるから、家系を遺すことや、お家を再興することが武家の面目となっていたことがわかる。そのために、武家は必ず、家系から家督を継がない次男などを、坊主に出家させていたのである。 この思想は、古代エジプトの肉体保存が、そのまま家系継承に代わったもので、輪廻転生の思想といえる。 だから、古代エジプトの思想で、肉体を家系、霊魂を仏と言い換えれば、古代エジプトの輪廻転生の思想がそのまま中世の日本に住む武家のモラル(秩序)に受け継がれていたことがわかる。 すると例えば、古代エジプトの祭祀王トートなどが、中世の天皇=アマテラスにあたるわけである。 だから、家名とは、祭祀王から与えられた職(この世での役割)などである。武士にとって、お家大事とは、祭祀王から与えられた職責を全うすることになる。 難儀なのは、祭祀王が天界と通じることがなくなって、堕落腐敗し、個人の人間となり、偶像崇拝に置き換わって、武士のモラルが崩れてきたことにある。仏教の腐敗は最たるものだろう。だから、あらゆる全ての仏教徒は容赦なく地獄に落とされるだろうから、かつて第6魔王の信長が行なった叡山焼き討ちの如く、覚悟すべきである。 もはや腐敗仏教が教えることは嘘が虚言、妄言ばかりの金儲けにしかすぎないで洗脳されないように相手にせずに、その誤った教えが拡げられることは地獄に道連れにされるので注意が必要でもあるが、とにもかくにも仏教の否定をしなければはじまらないことは確かだろう。 あまりに権威づけされたからである。だから仏陀に出会えば、仏陀を殺せ、といった禅宗は、その修行法の意味では正しい。 なぜ、いま仏教を否定すべきなのかは、3次元思考に洗脳している元凶だからである。 成仏に金銭がかかるなど、神を信仰するものの発言だろうか? 神など信仰していないからこそ、このような発言ができる。神が、人間に金銭など要求するのか? 全く戯けた輩であろう。そのような3次元思考から脱しないといけない。 3次元思考から脱するのによい教本とは、エメラルドタブレットであるが、特にドリールのは神智学の色合いがついているので、盲信するのはよろしくないが、盲信するのではなく、3次元思考からの脱出法として利用するのによい。書いてある内容が理解できればそのまま3次元思考の洗脳がとける。 だから、いま3次元思考を乗り越えて、4次元思考に移るときがきた、といえる。 4次元思考を一言でいえば、「自業自得」であろう。自分が行なったことが、自分に返ってくる。4次元の「左に行けば、右から帰ってくる性質」を考えればよい。つまり、4次元は、3次元の自他の空間をつなげているわけである。 例えば、左向きの人を、右向きの人につなげている。だから、3次元空間では、大まかにいえば、相手を受け入れて仲良くするか、相手と対立しケンカするか、しかない。 その相手も、過去か未来かの自分の姿の生き写しである。秘教的にいえば、霊魂が幼いか成熟しているかの違いといえる。 さて、そのような3次元思考から4次元思考に進むためによいサイトを以下に紹介していきたい。 ☆ ☆ ☆ エメラルド・タブレット 完全版(1) http://oka-jp.seesaa.net/article/255389368.html 夢が教えてくれた「宇宙有限理論は人類にとって有害」だという事実 前回の記事で「ニュートン」といういろいろな意味で有名な(有名すぎる) 17世紀の科学者のことについてふれましたが、この「ニュートンとの絡み」はしばらく続きそうな気がします。 前回の記事「土星を周回する「月の龍」」でこのように書きました。 ニュートンは自然科学者としてだけ教えられてきた私たちが受けてきた学校教育の価値観についての話です。 実際にはニュートンの研究の大半は今の時代でいえば「オカルト」に属するもので、ニュートンは、錬金術の研究、賢者の石の捜索、ヘルメスのエメラルド版の解析、そして、聖書の研究と、聖書の予言の解析などに人生を費やしていました。 どうして私たちの学習の歴史では「こちらが無視されてきたのか」ということは、科学史を考える上でかなり重要なことのように思います。 そして、少し前の「現代のジョルダーノ・ブルーノを作り出さないために(1)」という記事では、「進化論とビッグバン理論」が現在の科学の最大の阻害となっているかもしれないと書きました。 しかし、さらに言うと、上のうちの「ビッグバン理論」。 これが現代の科学だけではなく、「人類存在全体の概念の中で最も有害な概念かもしれない」ということにさきほど気づいたのです。宇宙論としての正否ではなく、「ビッグバン理論は、人類が持つすべての概念の中で最も有害かもしれない」という意味です。 そのことに気づきました。 まあ、また夢で見ただけですけど(自分の考えごときじゃ、私は何も気づきやしないです)。 でも、どうして「正否」を越えて「有害」なのか。 そのことをどう書くといいのか・・・。 でも、少し書いてみたいと思います。 私たちが「長生き」に価値を見いだすのはなぜか たとえば、うちの奥さんの実家などでは「介護」の問題などを抱えています。あるいは、今の時代では、親や兄弟の高齢化で、介護や、介護と類似した問題や困難を抱えている方々はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 もちろん、「介護」というのはひとつの例ですが、このような高齢問題がどうして生じるのかということには、次の2つのこれまでの人類の社会概念の流れがあります。 ・健康で長生きすることは素晴らしい という概念。 そして、さらに、 ・その「長生きすることは素晴らしい」ということに対しての、いかなる反対意見の存在も許されない。 という事実。 つまり、「長く生きることに意味はない」という意見は社会的に認められないということです。私も今の社会に生きる人間ですので、長寿の価値の意味はわかります。たとえば、「長く生きたい」とか、親や知り合いに「長く生きてほしい」とかの考え方はわかります。 しかし、では、高齢化社会と共にこれだけ問題が噴出しているのは、なぜなのか。 あれほど「長生きしたい」と思い、そして、周囲に「長生きしてください」と言い続けて、その結果、実際に今の世の中は長く生きる人がとても多いです。 その「実現した現在の長寿社会」は、果たして夢のようなパラダイスでしょうか。 この問題では、たまに経済状態の差のことが取り上げられます。つまり、「お金があれば・・・」という話です。 では、日本で最高の設備と医療施設を持つ老人ホームに入れられた本人は「幸せ」なのでしょうか。 そして、その「最高の」老人ホームに自分の親を入れることができた子どもたちは「幸せ」なのでしょうか。 難しい話だと思います。 しかし、なんとなく現在の私たちは「それは仕方ないことだから」というように思っていなかったでしょうか。 つまり、人間が年をとることによって起きる問題というのは「長生きした幸せに比較したら仕方がないことだ」と。 介護もアルツハイマーも老人性痴呆も「長生きしたのだから仕方ない」と。 「長く生きていること自体は幸せなことなのだから」と。 私はこのことがずっと疑問でした。 しかし、多分、この答えは出ないのだろうなと、あきらめていました。 「長生きの価値」を否定できることなどできるわけがないと。 しかし、昨日見た夢でそのことがわかったのです。 ビッグバン理論がこのすべての「諸悪の概念」を作り出していると。 ビッグバン理論というのは、「宇宙は有限である」という理論と言い換えてもいいと思います。どこかで宇宙が「できて」、宇宙は「成長し続けて」いるという理論であり、この理論では宇宙に「果て」があります。 つまり、ビッグバン理論では宇宙は有限なのです。 宇宙というのは私たちがいる場所です。 その「私たちがいる場所」というものが「有限だ」という根本概念。 それがそうではないとなった時、私たちの基本観念は大きく変わるかもしれないのです。 つまり、宇宙は「有限ではなく無限だ」とする。 すると「有限」という価値観に意味がなくなってくるわけです。 長生きというのがどういうことかというと、 ・生まれてから → 死ぬまで の物理的な時間の長さの長短を表します。 つまり、基本的に「人間も含めて、存在は有限である」というところに立脚した考え方のわけです。 もし、この「生まれてから → 死ぬまで」の間の時間というものの存在の意味がないとしたら。 あるいは、その時間軸の中に縦横無尽に存在している「瞬間」は、どれだけ集まっても「瞬間に過ぎない」ということであったら。 あるいは、上の「生まれてから → 死ぬまで」というものを含めた「あらゆる瞬間」というのはやはり「瞬間」なのだととらえられるようになれば。 観念的に聞こえるかもしれないですが、そうでもないと思いますよ。 いずれにしても、ビッグバン理論というのは、単なる宇宙理論ということだけではなく、これは、 ・私たちの存在している場所は「無限か有限か」ということを問う大変な問題 だということを、昨日の夢で変なジジイに教えてもらいました。 私もその夢のジイサンの言うことを聞いて、確かにそうだと思いました。 それで今書いています。 エメラルド・タブレットに書かれてあるかもしれない「この世の無限」 さて、タイトルに「エメラルド・タブレット」としたのに全然その話に入らないですが、自然科学の父であるニュートンが生涯を賭けて取り組んだ、その「エメラルド・タブレット」(ヘルメスのエメラルド盤)とはどんなものなのかを、もう一度考えてみたいと思います。 なぜなら、「エメラルド・タブレット」で描く「この世界」は「無限」であると思われるからです。 これはつまり、 ・エメラルド・タブレットとビックバン理論は対極にある ということです。 どちらが正しいのかというより、どちらが「素敵に感じるか」。 それを再確認してみたいと思います。 エメラルド・タブレットは過去記事に書いたこともありますが、もう一度訳し直します。 英語版の Wikipedia の Emerald Tablet には、 ・アラビア語訳版のエメラルド・タブレット ・アイザック・ニュートン訳のエメラルド・タブレット ・イタリア語版のエメラルド・タブレット ・ラテン語版のエメラルド・タブレット が掲載されています。 これをすべて訳してみます。 (中略) いちおう書いておきますが、「錬金術」という概念が大事なのではなく、 ・この世の存在は有限ではなく無限 ということを知りたいための作業です。 そして、その前提となっている私の感覚としては、「宇宙は絶対に無限だ」という、完全なる確信です。 ☆ ☆ ☆ ビッグバン理論は、物質宇宙しか説明できませんから、宇宙が物質だけでなく、実際、負のエネルギーの領域も発見されているように、この宇宙は、われわれの3次元宇宙だけではないのである。 勿論、3次元思考だけを優先している人間の世界では3次元世界だけだと思っているわけで、3次元で権威づけられるが、それは3次元の壁を自ら設け、3次元思考の奴隷となっているにすぎない。数学をすれば多少はその洗脳から逃れられるが…。