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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年05月24日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 前回抜粋紹介した話のなかの古代日本の王「ニギハヤヒ(ミ)」について、古代ヘブライ語から色々こじつけて、意味を探ると面白いことがわかる。

 「ニギ」は前回述べたが、「握る」の語源で、「指導者、統率者」という意味をもつらしい。

 「ハヤヒ」については「早い日」、つまり「明け方」という意味よりも、「ハライソ(セ)」ととった方が意味が通じる気がする。

 勿論、「ハヤヒ」でも、「ニギハヤヒ」を「夜明けの指導者」、つまり東方の王とも解釈できるが、「ハライソ(セ)」としても、古代ヘブライ語では、「楽園(パラダイス)」という意味をもつらしい。

 つまり、東方のエデンの楽園の統率者になる。

 ハライソ⇒ハラ(原)イソ(救い、癒し)⇒ファライス(救いの地)⇒パラダイス(楽園)

 というように、「原」は土地や源流を意味し、伊勢神宮がエデンの園ということになる。だから、伊勢神宮の統率者が「ニギハヤヒ」となる。

 恐らく大和朝廷は、伊勢神宮を併合することで、日本にあった8つの古代の王国を統一したようである。それが、ヤマタノオロチ退治の伝説として語られたのだろう。8は、ハチで、原住民の海洋系民族の末裔をも意味する。

 また、前回の話で、「サンカ」、「シノガラ」という言葉を、古代ヘブライ語でこじつけて解釈すると、「サンカ」の「サン」は、英語の敬称の「サー(Sir)」の語源で、「主権」を、「カ」は、「土台、架」を意味するそうで、サンカは、土台、架を主とするという意味になる。なにやらフリーメーソンの石工を彷彿とさせる。

 サンカとは、東洋版メーソンなのではないのか?

 つまり、来るべき未来に、西と東のメーソンが統合されるのではないのか?

 とも思えてくる。

 で、「シノガラ」というと、「シロハラ」とも読めるので、「シロ・ハラ」と古代ヘブライ語から解釈すると、「シロ」の「シ」は「星、天体」で、「ロ」は「属する」という意味をもつらしく、「シロ」は「天に属する」意味をもち、「天孫」のことに思われる。

 だから、「シノガラ」は、天孫の地、源という意味になるから、源氏ともとれるし、天孫民族ということにもとれる。

 さて、話は少し変わるが、「ユダヤ」の語源は、古代ヘブライ語では「ヤウーダ」で、「感謝、感恩、偲ぶ」という意味をもつらしい。だから、ユダヤ人は、感謝の絶えない人ということになる。また、「偲ぶ」は、侘びる、寂びるのワビサビに通じ、先祖の恩を感じることを意味する。

 しかし、現在のユダヤ人とされている偽ユダヤ人は全く感謝の心が足りないばかりか、金儲けや他人を支配することばかり考えているようにみえる。つまり古代ヘブライ語から言ってもニセモノなのである。常に感謝し、お辞儀をする日本人(太陽を拝む人)こそ、真のユダヤ人といえるのではないか?

 また「イスラエル」もついでに古代ヘブライ語で読み解くと、「イセ・ラ・エル」から、「イセ(救い)」と「ラー(称える)」と「エル(神)」になるから、「救いを称える神」となるし、また「イセ・ラウス」と読めば、「ラウス」は、「太陽が昇る、目覚める、奮い立つ」という意味をもつそうで、「救いに目覚める」という意味になる。

 だから、「ユダヤ-イスラエル」といえば、「先祖を思い、救いに目覚める」という意味にもなる。

 ついでに、この古代ヘブライ語による連想を続けると、「ユダヤ」は、「ヤウーダ」で、例えば、「ヤタガラス」を、「ヤタ・カタス」と捉えると、「カタス」は、英語のカタストロフ(catastrophe)の語源のようで、「清算する、片付ける」という意味をもつらしい。

 だから、「ヤタガラス」は、「先祖の思いを清算する、その思いに報いる」という意味になる。つまりカルマの清算を彷彿とさせる。

 そこで、ヤタガラスから、三種の神器の八咫(ヤタ)の鏡を連想すれば、それは、「ヤウーダ(先祖の思い)」の鏡だから、先祖の思いが、子孫を誕生させるわけで、鏡をみれば、自分は、先祖の思いの生き写しであることに気づかせてくれる。

 その八咫(ヤタ)の鏡には、「エヘイエ アシェル エヘイエ」と記述されているといわれ、これは、以前紹介したドリールによれば、「バランスによりバランスをもたらす」という意味で、上述の意味を加味すれば、自分の存在は、先祖の思いの生き写しなので、自分は、先祖の思いに報いる存在である、という意味にもなる。

 だから、自分は、先祖の思いの生き写しだから、自分を救うことで、先祖を救うことにもなる。

 それは、つまり、「自分を救うのは、自分である」ということで、キリストの説いた「天は、自ら助ける者を助ける」ということになる。 

 で、自分を救うにはどうしたらよいか、といえば、先祖に感謝し、恩を忘れないことであるから、先祖供養により、自分も救われる。

 だからといって、金銭を介入させる俗世仏教に騙されないように注意すべきことはいうまでもない。自分で供養するから、自分が救われるわけで、他者を介在させれば、もはや自分の存在ではなくなるからだ!

 仏教に洗脳されてはならない。





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Last updated  2013年05月24日 15時26分24秒
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