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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年06月04日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 巷では、相変わらず洗脳祭りである。洗脳に罹る第一は、「現在(いま)」の否定にある。

 「いまでしょ?」という宣伝で話題の塾講師が持てはやされているのに、「いま」を大事にしない人々が多すぎてお笑い草である。

 確かに「いま」を大事にしていたら、モノは売れないし、悪い奴は金儲けもできない。

 悪い奴は、自らの欲望を満たすためにカネが必要だからである。しかし、悪い奴は、地獄にいくだけだから、そのうち後悔する。後悔しても反省しないで、繰り返すだけだから、救いようがない、だから後の祭りである。

 そんな悪い奴に洗脳されないために、人生はあるといってもよい。

 人生とは、幸福をみつけるためにある。

 幸福とは一体なんだろうか? 

 それをみつけるために、興味深い話を、いつも訪問させていただいている播州武侯さまのブログから抜粋紹介させていただく。

 ☆  ☆  ☆

 水瓶座時代
 http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-11544001548.html

 上記文抜粋
 ・・・・・・・・・・・・

 伸びるもの、、、しぼむもの、、、
 
 近欲と大欲とがある。目先の損得でものを考え行動するのが近欲。

 近欲は損なことはしないがどこかで大損をするケースが出てくる。先が見えないからとりあえず、目の前の損得で物事を図り、行動する。

 現代人に多いタイプかもしれない。時代が安定していて、未来が平行線上に見えている時は、近欲でもうまくいく。

 一方、大欲は大きな意思や目的があるので、目先の少々の損にも我慢がきく。自分自身に投資していけば目先は損することが多くなる。だがいつか大きな花を咲かせることもある。

 反対に自分が作る未来に信頼がなければ、今損するわけにはいかなくなるだろう。

 このように目先の損得にこだわるのは、未来観の欠如が原因ともいえるし、直線的な未来を単純に描き、それだと将来いくら足りない、、、というような不足感が原因になっている。

 これを踏まえて現在を見てみよう。これから伸びるものと、しぼむものが時代にはいつでもある。

 現在の特徴は、あらゆるトレンドが大きな転換点に立っているということ。これまで延びていたものがこれからも伸びるとは限らない、、、むしろこれまで延びていたものは、すでにピークを打って下がりだすケースが多いと思われる。

 反対にこれまで不利だと思われていたものが、意外にそうでもなくなっているケースがある。そうした現象が増えている。

 これまで延びていたものとは、これなら安心だ、、、と人が思っているものと言ってもいい。

 最大の安心感は親方日の丸。しかし、もっとも借金を背負っているのが国。いずれ行き詰まることは明白。なのに人は困難な時代だからこそ国に頼ろうとする。

 このように感情と現実の不思議な乖離があり、この乖離が大きい人ほどこれから大変。

 大企業も私はそうだと思う。実際に大企業のリストラは厳しく、すでに生涯の安心を与えてくれるものではない。中小企業はなおそうかもしれないので、企業自体が実は危ないところに来ている。

 社員を奴隷化するようにしてしか利益を上げられない。すでに社会悪になりつつある企業も多い。

 これまで多くの人が安心だと思っていたものが、これから急速にしぼみだす時代だと思う。なのでこちらサイドの意識を変えなければ訪れる未来はどうなるかわからない。

 20代で就職して一日16時間も働かせられて将来があるわけがない。病気で倒れてしまう。何が安心か。

 私たちは本気で考えなくてはいけないと思う。嘘の安心にしがみつけばきっと不幸がやってくる。要するに今はだましの時代である。

 もっともらしいことを言う、権威や権力やマスコミ、企業などは、本物のうそつきだと思う。まじめな人がそれにひっかかる。なぜかというと、不安よりはいいからだ。

 人は不幸よりも不安が怖いのだ。不安がごまかせれば不幸には耐えようとする。しかしそれにだって限度があるだろう。

 サービス残業で会社に忠誠を誓っても未来の保障などどこにもない。あるように思わせられているだけの話しではないか。明日、首にならない、、、ただそれだけの安心ではないか。

 まだ首になって、ゆっくりとこれまでの疲れを癒し、よく寝て、体に良い質素なものを食し、恋人や家族とたわいない時間を楽しむ、、、、その上で、さて、これからどうしようか、、、と考えた方が本当はうまくいくのに、多くの人はそんな風には決して思わない。

 そうなったらおしまいだと思ってしまう。自分に与えられているプログラムに対する自信が持てないためだ。

 生命維持の法則には、実は極めて精査な我々の考えの及ばない働きがある。会社を辞めたら辞めたら伸びるプログラムが隠されている。

 命の危険を背負ってまで現状維持にしがみついているうちは、そのプログラムは開かない。あきらめて、運を天に任せて、その運命を楽しむ心境があると、隠れたプログラムが進行していく。

 自分が焦ることはない。隠されたプログラムをあわてさせればいいのだ。人はまじめなので、自分が焦ってしまう。「ああ、明日からどうしよう、、どうやって生きていこう、、、」と。

 「はい、何もないよ。何とかして」と、プログラムをあわてさせること。自分があわてないでもいいのだ。

 すると、ふっとわいてくるものが出てくる。「そうだ、、、○○に電話しよう、、あってみよう。」

 思ってもみなかった直感、、、そして行動。要するに不安からでない、初めて見る自己意識の中からの行動。

 これが作用の力です。宇宙の法則は明日、お会いする予定の飯島秀行先生がおっしゃる、作用と反作用が本質。

 アインシュタインもニュートンもはるかに超えた原理。作用と反作用。私たちが働きかければ、必ず、宇宙は反作用として応えます。

 なので、無からどんな有でもつくることができる。安心神話にしがみついていると、それができないが、会社を辞めてしまった人にはそうしたチャンスが出てくる。

 作用する人としての出発だ。あなたの中に眠るプログラムは私にもあなたにもわからない。しかし、それはある。

 それを信頼せず、目に見える近欲な安心にすがった。そして不幸になった。安心がなくなった今、人は作用する人として生きていくしかない。

 しかしそれが本当の宇宙の原理にかなっている。なのであなたに用意されていたプログラムが開いていく。

 これから伸びるものはそれ以外にない。それ以外の誰かが作った、、誰かが支配している、、、誰かがもっている、、、、それらの関連からの安心はどんどんしぼんでいくでしょう。

 作用する人。人は何かを働きかけなければ、単なる物体としてやがて時間の経過とともに引力にまけ、崩壊の過程に入りだす。

 作用する人は反作用を受け取り、縁あるものを引き寄せる。作用、反作用は、小さな私と大きな宇宙とをつなぐ命綱なのです。

 チューナーが優れている点は、もっとも根源な音を生み出す作用としてのグッズであることです。

 楽器はまあ何でもそうですが、決められた音階など閉じ込められた中での作用。単純なチューナーは天使の棒振りのようなもので、きっといろいろなものを引っ張り出すことに

 ☆  ☆  ☆

 この話から、私が感じた「幸福」とは不安感をもたないこと、である。逆説的にいえば、「現在(いま)」が充実していたら、不安感などない。

 で、不安感はどこからくるのか、といえば、「自信」である。

 自分に自信がないのは、自分を甘やかしてきたからで、自信とは、人生をうまくやっていくことから生まれる。 

 人生をうまくやるには経験が必要なのはいうまでもないことだが、人生で遭遇する問題はなるべく自分で解決することが重要である。でないと自信がつかないばかりか、その延長上の幸福を手に入れることはなお困難だからである。

 そこで、例えば、人生をパソコン操作に置き換えてみる。

 私は職業柄、パソコンの操作で他人に聞かれることが多いが、とにかくトラブルを解決しようとする意志にかける相談が多いのに閉口してしまう。他人任せなのである。他人任せで、パソコンを使っていたら、何かあればすぐ人に聞くようになるから、パソコンを使うのが不安で仕方がないはずだ!

 不安があるなかで、使うというのは諸刃の剣で、いずれ大きなトラブルに遭遇し、木っ端微塵に自信を失うことになる。人生でいえば、自殺を選択してしまう。

 実は、自殺する人の多くが、全てを他人任せにし、自分の不幸が、自分の不幸な見方にあることに気づいていないのだ!

 そして、常に、自分は不幸だ!を宗教のごとく唱えているのである。

 パソコンの例でいえば、「パソコンはわからない。」を連発する輩である。はじめからパソコンをわかる奴などいない。みんな努力してわかるようになったのである。自分でできるだけやってみないと、具体的にどこがわからないのか、も見当がつかず、ましてや他者に説明することなどできない。

 パソコンは使わなくても死に至ることはないから、使わなければいいだけだが、人生においては、そうはいかない。

 人生において、自分のことを他人に相談することは、実は、それだけ自分を不安にさせていることになるのに、気がついていない。特に占いとか、宗教なんかがそうである。

 ああいうものにすがると、自信がなくなり、ますます不安が増して、不幸になるだけなんである。

 それと似たように、カネなどいくら貯めようが、益々減らないか不安になるだけだ!

 物欲が増せば、今度は、それが失われないかの不安がそれと同じくらい増加する。つまり、物欲が増せば増すほど、不安が増し、不幸になる。だから、物質豊かな日本が、不幸でいっぱいの人々になる。
 
 いかに外見の美を競おうと、それは一時の束の間でしかない。いつ失われていくか不安だけが増す。失われていくものを赦すことができなければ、不安感だけが後に残される。

 幸福とは、不安と反対の安心感にあり、その安心感とは、自分のことはなんでも自分で解決できる能力をもつことだからである。

 すると、人生に降りかかるどんな出来事にも幸福を感じられ、感謝するようになるだろう。

 キリストが犬の死体に美を感じたように、どんな醜悪さにも、美を探すことができる。

 幸福とは、自分の幸福をみつける能力のなかにあるのだ! 





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Last updated  2013年06月05日 11時19分13秒
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