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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年07月18日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 「チベット永遠の書」の原本に興味をもったのは悪名高いヒトラーだったという。ヒトラーといえば、イエズス会とのつながりが深かったのは、以前紹介した。

 さて、イエズス会とヒトラーを調べると、アベの言動と、さらにはかつてのコイズミの言動に似ていることがよくわかる。
 
 そこで、あるサイトから再度重複も含み、イエズス会の活動とヒトラーの言動などを抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 ナチス、FEMA、日本の防衛省、公安の背後にはイエズス会=CSIS

 ジョージタウン大学(Georgetown University)は、アメリカ合衆国の名門私立大学。ワシントンD.C.の近郊、ジョージタウンに位置する。1789年1月23日ジョン・キャロル大司教によって創設された。ジョージタウン大学はアメリカ合衆国におけるカトリック教会及び、イエズス会創設の大学としては、最古の歴史を持つ。 

 ビル・クリントンがジョー ジタウンを選んだのは、優秀な外交官養成講座があったからである。また、米国の 首都で教育を受けることにも大いに魅力を感じた。

 ワシントンのジョージタウン大学内に、CSISがある。
(CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズ)
 CSISは元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。
 エドマンド・ウォルシュは、地政学者カール・ハウスホーファーの弟子
 地政学者カール・ハウスホーファーはナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げた)
 CSISはナチス地政学を米国に「移植」するために創立された。
 エドマンド・ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。

 CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織。

 CSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センター。

 現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

 CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ねる。
ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(大統領バラク・オバマのブレーン)が、CSISの理事を務めている。

 アメリカにおける国内独裁と国土管理のための備えとして重要な組織の一つが、連邦緊急事態管理庁(FEMA)である。
 FEMA創設の中心人物はCSISの理事であるズビグニュー・ブレジンスキー。
 アメリカに戒厳令が発令されFEMAが活動するときは、CSIS=イエズス会の指令で動く。

 CSIS(戦略国際問題研究所)の日本部に、客員研究員として、日本の防衛省、公安調査庁、内閣官房内閣情報調査室の職員が加わっている。ジェトロや損保会社、NTTの職員も客員研究員として名を連ねている。

 小泉の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている。

 ヒトラーの側近の1人にハインリッヒ・ヒムラーという男がいた。
 ヒムラーはゲーリングやゲッベルス以上の信頼をヒトラーから得るようになる。
 ヒトラーはヒムラーのことを「わたしのイグナチウス・デ・ロヨラ」と呼んでいたという。

 ヒムラーはキリスト教内秘密結社、カトリック内過激派とされる「イエズス会」を研究し、範とした。
 イエズス会の図書館には最良の蔵書が豊富にあり、ヒムラーはそれを何年も費やして熟読していた。ヒムラーの側近の情報部長ワルター・シェレンベルクは、ニュルンベルク裁判で、ヒムラーはイエズス会の創立者イグナチウス・デ・ロヨラの「霊操」すなわち心霊修行と緊密に結びつけられた「僧兵軍隊組織」を、もっぱら志向していたと証言

 夢のなかでヒムラーは、しばしば王と会話を交わしたと信じこんだ。この幻想は次第にエスカレートしてゆく。彼はこの王をゲルマン民族の英雄として崇拝し「ハインリッヒ1世記念財団」を設立。1936年には王の1000年忌を挙行し、1937年になると王の遺骸発掘を実行するまでになる。

 ジョージタウン大学
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 ジョージタウン大学 ポトマック川サイドより
 ジョージタウン大学(Georgetown University)は、アメリカ合衆国の名門私立大学。ワシントンD.C.の近郊、ジョージタウンに位置する。1789年1月23日ジョン・キャロル大司教によって創設された。アメリカ合衆国におけるカトリック教会及び、イエズス会創設の大学としては、最古の歴史を持つ。ジョージタウン大学は、イエズス会大学協会en:Association of Jesuit Colleges and Universitiesの所属機関であり、ジョージタウン大学学長及び理事会と一体化している。ノーベル賞受賞者を5名を輩出している。

 1754年、キングズ・カレッジの名前で、英国による米国の植民地支配のための「ノウハウ・スクール、英国直結の米国監視・スパイ養成学校」として、英国国王ジョージ2世の特許状に基づき設立されたコロンビア大学は、アビール・ロウ一族の麻薬資金によって「大規模化」されてゆく。

 米国が英国から「独立」するに従い、コロンビア大学は米国による「植民地支配国の管理ノウハウ・スクール」に転じる。

 コロンビア大学が、米国の「植民地支配国に対する管理ノウハウの伝授スクール」である事は、第二次世界大戦中、日本語の堪能な人材が、この大学に集められ、当時、米国の敵国であった日本に対する「対日暗号解読部隊」が、この大学を舞台に結成された事でも分かる。この大学は、事実上、対日戦略情報部隊の中心地であった。
 つまり「米国による日本の支配のための人材育成大学」が、この大学の正体である。
 小泉元首相が自分の後継者・進次郎を、コロンビア大学・大学院に「送り込んだ」所には、「米国による日本支配のための、アヤツリ人形」であった小泉の正体が「明確に出ている」。

 小泉の後継者・進次郎は、コロンビア卒業後、CSISに入っている。

 ワシントンのジョージタウン大学内にある、CSIS=センター・フォー・ストラテジック・アンド・インターナショナル・スタディーズは、元々、エドマンド・ウォルシュ外交学院と言う名前で創立された。ウォルシュは、ナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーの戦争戦略を作り上げたナチスの地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、ナチス地政学を米国に「移植」するためにCSISを創立した。ウォルシュはイエズス会の神父でもあった。

 CSISは1964年、中国共産党諜報部の喬石長官との協力の下、中国国内の麻薬製造地帯のネットワークを「整備」し、世界各国に中国産麻薬の販売網を「形成」した。

 この麻薬販売の利益で兵器を購入し、CSISは1972年から、南アフリカの黒人人種差別体制を維持するための軍備として提供し、またイスラエルが中東戦争を実行するための兵器として供給してきた。

 CSISは、南アのスパイ組織=国家安全局BOSSと協力し、南アの金塊・ダイヤモンド・ウランと、中国製麻薬の利益=兵器と「バーター取引」を行う、諜報・スパイ組織であった。

 またCSISは、イスラエルに兵器を供給し、中東戦争によって「石油価格を高騰させる」、石油王ロックフェラーのための「石油価格コントロール」センターであった。高騰した石油の利益で中国産麻薬が購入され、麻薬の販売利益で兵器が買われ、その兵器がイスラエルに渡り、中東戦争を起こす。そして石油が高騰する。

 これが、米国=中国=イスラエルによる、「現在にまで続く」戦争経済の仕組み、戦争マシーンのシステムである。

 現在、CSISは、米陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもあり、米軍の持つ膨大な数の生物化学兵器の管理センターともなっている。

 CSISの顧問には、ヘンリー・キッシンジャー、その弟子でライス国務長官の師匠であるブレント・スコウクロフトが名前を連ね、ロックフェラー・ロスチャイルドの世界帝国建設のための軍事戦略を「描いた」ズビグニュー・ブレジンスキー(大統領候補バラク・オバマのブレーン)が、CSISの理事を務めている。

 小泉の「後継者」は、このスパイ組織の「対日エージェント」として「派遣されて来る」。
 http://mdcjbu.blog88.fc2.com/blog-entry-680.html

■■ヒトラー政権の誕生
 http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha350.html#01

●第一次世界大戦の終了後、ヒトラーは軍の命令で、南ドイツの半秘密結社的団体「トゥーレ協会」の政治サークルに潜入する。

 軍のスパイ役として派遣されたのだが、そこでたちまち頭角を現し、やがて党首に選ばれる。

 彼は「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」、すなわち「ナチ党」を率いて、入党14年後には合法的に政権を獲得してしまう(1933年1月30日)。

●翌1934年9月、「ドイツ騎士団」ゆかりの古都ニュルンベルクで「第6回ナチス党大会」が開催され、ツェッペリン広場に15万人のナチ党員が大集合した。

 この党大会では「1つの民族、1人の総統、1つの帝国」というナチスのスローガンが生まれ、盛り上がった。

 この党大会でヒトラーは、自信に満ちた表情で声を高らかにしてこう宣言した。

 「私の夢。それは古代ゲルマン以来の失地回復であり、ヨーロッパ全土から東はウラルにまでおよぶ大帝国(千年王国)の建設である! 当面の目標は、大ドイツ。つまり全てのドイツ民族を含む大ドイツ帝国の建設である!」

 「第三帝国」の総統ヒトラーに熱狂するドイツ国民

 ナチスの独裁国家は、中世の神聖ローマ帝国、1871年に成立したドイツ帝国に続いて
「第三帝国」と呼ばれた

●このヒトラーの側近の1人にハインリッヒ・ヒムラーという男がいた。

 彼は、秘密結社の指導者になるという考えに大層魅かれており、それが触媒となってナチスの親衛隊(SS)が組織されていった。「トゥーレ協会」から「ナチ党」が誕生したように、今度はそこから「SS」が生まれたのである。

 以下、ハインリッヒ・ヒムラーと「SS」について詳しく紹介していきたい。

 ☆  ☆  ☆

 字数制限を越えるので次回に譲る。






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Last updated  2013年07月18日 12時18分12秒
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