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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
前回からのつづき
☆ ☆ ☆ (以下はデビットアイク氏による話) デービッド・アイク著『大いなる秘密』より、アメリカ独立のからくりを暴いた部分を抜粋します。 アメリカは一度も独立などしたことはなく、その実態は『アメリカ株式会社』であり、国民は株式会社の資源に過ぎない。 アメリカ合衆国がロンドンの支配から自由であったことは一度もなかった。それどころかアメリカ合衆国そのものが、ロンドンの「創作」であった。英国すなわち英王室が、宗国を「所有」し続けてきたのだ。 もしあなたがアメリカ人で、初めてこのような情報を聞いたのであれば、たいへんなショックを受けたことだろう。まだ先は長い。まずはゆっくりと座って、砂糖を入れた熱いお茶で一服するといいかもしれない。 1604年、政治家、事業化、商人、工場経営者、銀行家など、各界の指導者が、グリニッジにおいて会合を開いた。続いてケント州に集まった彼らは、「ヴァージニア会社」を結成した。英国人をはじめとするヨーロッパの白人が、近い将来、北米大陸に大量に流入するであろうことを見越しての動きだった。 この「ヴァージニア会社」の筆頭株主は、英国王ジェームズ一世(レプタリアン)であった。最初に特許状が発行されたのは、1606年4月10日のことであった。修正・追加条項も含めたこの特許状の内容からすると、ヴァージニア会社に支配されたアメリカ植民地の実態は、次のようなものであったことがわかる。 (ヴァージニア会社は、バックミンスターフラーが西インド会社と呼んだものらしい。) ●ヴァージニア会社は、二つの会社から構成されていた。その一つはロンドン会社、もう一つはプリマス会社(ニューイングランド会社)であった。前者は、1607年5月14日に開かれたアメリカ植民地、ジェームズタウンを管轄していた。 注;アメリカは入植当時、ニューイスラエルと呼ばれていたことを思い出してください。現在のイスラエルの建国記念日も5月14日です。 後者が管轄したのは、あの「ピルグリム・ファーザーズ」である。1620年11月にコッド岬に到着したピルグリムたちは、12月21日にプリマスの港に上陸した。アメリカの神話となった「ピルグリム・ファーザーズ」は、ヴァージニア会社の第二部門、ニューイングランド会社の職員たちであった。 ●ヴァージニア会社は、現在「合衆国」と呼ばれている土地の大部分、および沿岸から約1500キロの範囲内にある島嶼(とうしょ)を所有していた。このなかには、バミューダやカリブ諸島もふくまれていた。 ヴァージニア会社(英国王家の血族)は、アメリカ大陸で採掘される金と銀について、何と50%の権利を有していた。その他の資源についても50%以上の権利を有し、あらゆる事業について、その利益の5%を受け取る権利を持っていた。 特許状に定められたこれらの権利は、ヴァージニア会社を所有する者たちの相続人によって、代々受け継がれてきた。つまり、この権利は永遠に存続するのだ。これらの権利を享受するヴァージニア会社のメンバーたちは、ロンドンを拠点として活動し、財産管理者や投機家や大農場主として、その名を知られるようになった。 ●ヴァージニア会社の土地は、「委託使用書」によって、各植民地へと貸与されていた。ヴァージニア会社のメンバーたちが相続したり売買したりしていたのは、あくまでも土地の永続的使用権であった。彼らは、決して土地の所有者ではなかった。土地の所有権は英王室にあった。 ●植民地は、それぞれ13人のメンバーを持つ2つの植民地評議会によって統治されていた。しかし、最終的に決定権を持っていたのは、ロンドンの国王評議会であった。アメリカ植民地の統治者は、英国王によって選ばれていた。大統領と呼ばれる現代アメリカの統治者も、その実態は植民地時代から何も変わっていない。 ●英国王は、植民地評議会を通じて、植民地の人々に、アメリカ原住民をも含めたすべての者にキリスト教を強制するように命じた。これはカルヴィン派ピューリタンのキリスト教テロによって、植民地内部を統制せよということである。 ●ヴァージニア会社の植民地では、刑事裁判所はアドミラルティ・ロー(英国海事法)に則り、民事裁判所はコモン・ロー(英国陸事法)に従っていた。 実はこれらの内容は今日にも該当している。もう一度読み直して、ことの重大さを十分に理解していただきたい。13州のアメリカ植民地は、1783年のパリ条約によって、「独立」国家としての承認を受けた。 しかしその実態は、ヴァージニア会社が「アメリカ合衆国」へとその看板を変えたにすぎなかった。あなたはご存知だろうか、2つのUSA(合衆国)があることを。「合衆国」は各州からなる領域だが、それら各州の土地は、いまだに、旧ヴァージニア会社筆頭株主としての英国王室(USA所有者)によって所有されているのである。 「USA」とはポトマック川西方のおよそ110平方キロの領域、連邦首都たるワシントンDCである。保護領たるグァムやプエルト・リコも、これに含まれる。「USA」は国ではない。それはブラザーフッド・レプタリアンの血族によって所有される「企業」である。 「USA」とはヴァージニア会社そのものなのだ! アメリカ人が社会保障番号を受け入れるということは、「合衆国」の市民が「USA」(英王室所有のヴァージニア会社)に自らの主権を明け渡し、そのフランチャイズになることを意味する。 では、なぜアメリカ人たちは、社会保障番号を受け入れるのだろうか。それは彼らが自分たちのしていることの意味を理解していないからである。アメリカ人たちは「合衆国は一つしかなく、連邦政府はその正当な政府である」と信じ込まされているのだ。 たとえば「アメリカ人は、連邦政府に所得税を納めなければならない」と規定した法律はどこにもない。しかし、アメリカ人たちは、連邦所得税を支払い続けている。そうしなければならないと信じているからだ。 ブラザーフッド支配下の連邦国税庁は、テロをもその手段としているため、連邦所得税の徴収が詐欺だと知っている者も、それを支払わざるを得ないのだ。さあ、お茶をすすって深呼吸をしていただきたい。話はまだまだあるのだ。 アメリカで産出される金銀についての権益や徴税権など、ヴァージニア会社のオーナーたちが持っていた特権は、「USA」(旧ヴァージニア会社、現在はワシントンDCの連邦政府)の所有者であると同時に「合衆国」(アメリカ各州)の土地を所有する英国王室によって、現在も受け継がれている。 (英国王室が米国政府と土地の2つを所有しているらしい。住民は、雇われ人という感じ。日本の昔の律令カースト制度と同じ。) つまり「独立」以降も、それ以前と同じ割合の上納金が、連邦政府職員(すなわちヴァージニア会社の職員)によって、アメリカの人々から徴収され続けてきたということだ。大統領さえも一職員にすぎない。「合衆国」の土地を所有する英国王室は、「USA」の土地と機関を所有している。 その中には連邦国税庁(IRS)や、連邦準備制度理事会(FRB)が含まれる。この連邦準備制度理事会とは、私有のアメリカ「中央銀行」であり、存在しない金(マネー)を政府に貸しつけて利子を取っているのだ。 結局その利子は、最終的に納税者が負担させられている。この連邦準備制度理事会は、英国およびヨーロッパのブラザーフッド一族によって所有されている。 しかし、さらにもうひとひねりあるのだ。 表向きヴァージニア会社の所有となっていた莫大な資産、その真の所有者は誰であろうか? その答えは、バチカンである。1213年10月3日、英国王ジョンは「英国王単独法人」としてのイングランド統治権を、「キリストの代理人」として世界統治権を主張するローマ法王に譲渡した。 その見返りとして法王は、英国王に対し、当地の執行者としての地位を与えた。いうならば、英国王室が経営責任者で、バチカンがオーナーというわけだ。もちろんその裏には、バチカンを操る真のオーナー(イエズス会?)がいるのだが。 「ロンドンは、ブラザーフッドの作戦レベルの中枢である」と私が言い続けてきたのは、このような理由によるのである。ロンドンよりさらに高いレベルの力の所在地がバチカンである。しかし私としては、物質次元(われわれの住む世界)における彼らの究極の拠点(最高中枢)は、チベットあるいはアジアのどこかの地下にあるのではないかと考えている。 (チベットの地下にあるとされる自称聖白色同胞団の悪魔集団) 補足として仰天のサクセス・ストーリーを抜粋します。フランス革命がフリーメーソンによって仕組まれたことは周知の事実になっているようです。彼らはフランス王家を滅ぼす一方でルイ王子に手厚い保護を与えてアメリカに渡らせ、そこで見事な仇花を咲かせて利益を回収しています。 このようにアメリカの人々は、巨大な詐欺によって血を吸われ続けてきた。それは今も続いている。しかし「自由の大地」とは、なんという皮肉であろうか。アメリカ大統領や政府高官は、このことを熟知している。 あのジョン王は、ローマ教皇にイングランドの統治権を譲渡した。そしてジョン王を操っていたのは聖堂騎士団である。私は先ほど、「アメリカ植民地の刑事裁判所は、ヴァージニア会社及びジェームズ一世によって、アドミラルティ・ローに従うよう規定されていた」と述べた。 英王室を中心とするブラザーフッド一族は、アメリカの刑事司法をも支配しているということだ。そのコントロール・センターは、ロンドンのテンプル・バーを拠点とする秘密結社である。聖堂騎士団ゆかりの地であるテンプル・バーは、現在は英国法曹界の中心地となっている。 英国フリーメーソンのグランド・ロッジは、ロンドンのグレート・クィーン・ストリートにある。このグランドロッジは、1717年に設立されて以来、世界中のフリーメーソンをコントロールし続けてきた。 「革命家たち」が王妃マリー・アントワネットを処刑したあと、まだ幼児であった息子のルイ王子は、パリ・テンプルに軟禁された。その二年後、彼は、主治医ノーディン博士によって、洗濯籠の中に入れられて密かに連れ出された。王子は密かにヴァンデー宮殿に連れて行かれ、コンデ公によってかくまわれた。 のちに王子は、ライン河畔の要塞へと移され、「リシュモン男爵」の名で過ごした。1804年2月、彼は、元フランス王室会計長官のジョルジュ・ペイジュールとともにイングランドに渡り、英王室国王ジョージ三世の保護を受けるようになった。 ☆ ☆ ☆ 次回につづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年08月07日 10時57分07秒
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