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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
唯物論が広く浸透してしまったために、人類はこの物質世界だけが全てだと思い込んでいるが、そのような低レベルな意識状態が、「セスは語る―魂が永遠であるということ」という本のセスが語る「自我硬直」であることを、紹介してきた。
セスが語るように、人類の一人一人の意識を変えるためには、とにかく唯物論による死の概念を変えないといけない。 問題なのは、この死の概念は本来個人的なもの、つまり一人一人の意識の発達度で異なるために、統一概念などがないからである。 唯物論では、肉体が機能しなくなった、とくに脳死といわれるものが判定となっているが、脳内の個々のニューロンまで言及されているわけでもない。唯物論でいうところの人体は、細胞の組織体なので、人体のうちの細胞の何割が死んだら、死といえるのか、というところにも言及すべきはずなのだが、それすらもしていないほど全く安易な死の概念といえる。 このような安易な唯物論での死の概念とは対照的に、オカルトでは、霊魂を取り扱うので、肉体から、霊魂が完全に抜け切った状態を、概念的な死にしている。物理学風にいうなら、3次元(物質)世界に戻る意識を完全になくした段階といえる。 つまり、霊魂が、もはや当の肉体をまとって経験する必要がなくなる段階のことで、霊魂が肉体をまとうこと、つまり3次元物質世界にくることを「受肉」といい、もはや、受肉の必要がなくなったのが死である。必要なくなるという意味は、新たな出発の意味である。 だから、喩えを持ち出すと、いわば科学者が仮説を実験で証明する必要がなくなったことにあたり、仮説が真実だと立証されたこと、つまり、意識が自身の特定の能力を認識した段階が死といえる。 意識は、想念を物質化することで、認識するようである。だから、想念を物質化するに相応しい肉体に受肉する。 さて、このようなオカルトの死の概念を紹介してくれた、「セスは語る―魂が永遠であるということ」という本の内容を、途中までだが、抜粋紹介しているサイトをみつけたので、以下に個人的に重要に思う部分を抜粋紹介する。 ☆ ☆ ☆ セスは語る―魂が永遠であるということ http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/seth/mokuji.html 第一部 セッション511……1970年1月21日(水曜日)午後9時10分 (セッションは、ジェーンがセスの霊媒となり、行なわれたそうだ。) セスの話す英語には独特の訛りがある。訛りの種類を特定するのは困難だが、これまでにもロシア、アイルランド、オランダ、イタリア、そしてフランスまでが候補にあがっている。かつてセスがユーモアをこめて話してくれたが、彼の話し方は、実際に体験したいくつもの人生を通して培われたもので、彼自身の「全世界的背景」に起因しているとのことだった。 第1章 (以前、紹介した内容と重複するが、再度紹介する。) さて、ゴーストバスターのことは聞いたことがあるでしょう。私(セス)は文字通りのゴーストライターと呼ばれそうですが、私自身はこの「ゴースト」という言葉があまり好きではありません。確かに、私は物質的見地からは見ることのできない存在ではありますが。 実は「霊(スピリット)」という言葉も、あまり好きではないのです。それでも、もしあなたがたが「霊」という言葉に、肉体のない人格存在(パーソナリティ)という定義をあてているなら、私は自分がその定義にあてはまることを認めざるを得ないようです。 私は、大いに親しみを感じている一人の女性(霊媒)の援助のもとで、この書をしたためています。私がその女性に「ルバート」[男性名である]を用い、男性代名詞(he)をあてていることを妙だと感じる人もおられるでしょう。 しかし事実はこうなのです。私は彼女のことを、別の時代に別の場所で、別の名前で呼んでいたのです。彼女はこれまでに男性であったことも女性であったこともあり、それらすべての転生を、それぞれ別個の生として生きてきました。しかし、彼女のあらゆる転生の全体である、より大きな存在があるのです。そしてルバートという名は、その全体の存在を指していう名に他なりません。 いずれにせよ名前というものは、さほど重要ではありません。私は「セス」という名です。名前はただ単に何かを指し示すためにあり、記号にすぎないのですが、あなたがたにとっては取りあえず必要なものですから、私も用いているまでです。 私はルバートの協力のもとでこの本を書いています。私に代わってルバートが、私の言葉を話してくれます。今回の転生で、ルバートは「ジェーン」と呼ばれています。そして、ジェーンの夫であるバート・バッツが彼女による口述を、逐一紙面に記録しています。私は彼を「ジョーゼフ」と呼びます。 読者の方々は、自分は物質から成る被造物であり、肉体に拘束され、骨や肉や皮膚という牢に監禁されていると思っておられるかもしれません。もしも自己という存在が肉体像に依存すると信じている場合、肉体が消滅する恐れをいやでも味わうことになります。肉体とその形状は、永遠にそのままではないからです。 若かりし頃の容姿がいかほどでも、老齢にあって同等の活力なり魅力なりを保ち続けることは何人たりとも不可能です。若さや美しさ、あるいは知性や業績などをみずからの存在価値とするならば、そうした属性がとこしえでなく、やがては失われることを知るようになり、絶えずそれはあなたがたを苦しめることになるでしょう。 しかし、どうか安心してください。本当はそうではないのです。私はあなたがたにそのことを告げるために、この書をしたためています。もともとあなたがたは、私がそうでないのと同様に、物質的存在ではありません。そして私自身もこれまでに、枚挙に尻込みするほど夥(おびただ)しい数の肉体を脱いだり着たりしてきました。実在しない人格存在が、書物を著すことはありません。私は肉体像には少しも依拠しておらず、あなたがたもまた同様なのです。 意識は形あるものを創造します。しかしその逆は成り立ちません。 (意識は、量子力学でいうところの演算子のような働きをする。) 人格存在のすべては、物質に依存してはいません。あなたがたは日常の雑事に振りまわされているため、みずからの本来の能力が、実は普段意識しているものより、遥かに卓越したものであることに気づかないのです。そればかりか、そのことを知る内なる部分が、自分自身のなかに存在していることさえ知らずにいます。 あなたがた自身もまた一人ひとり、今とは別の存在として多くの転生を重ねてきました。他の生で得た蘊蓄(うんちく)は、たとえあなたがたの意識に上ることはなくとも、いま現在のあなたがたの内に存在しています。私はこの書を通して、読者の方々の内なる自己である、研ぎ澄まされた直感の宝庫たる部分を解放し、各人にこの上なく役立つであろう無比の洞察能力を、意識の最前面に押し上げるお手伝いができることを願っています。 私は、非常にうまくルバートの体に意識の焦点を合わせることができています。この女性(霊媒)に私の口述をしてもらうということは、それほど単純なことではありません。そのために必要な手順や心理的調整が、事前に充分に行われます。ルバートと私の間には、「精神の架け橋(サイコジカル・ブリッジ)」と私が呼ぶ結び付きが確立されるのです。 ところでこの書を読まれる時は一体私が何者なのかを問うよりも、あなた自身が何者なのかを自問するほうが賢明であると思われます。なぜなら、あなた自身が人格存在であることの本質や意識の特質を理解しないうちは、私という存在を理解することは不可能だからです。 あなたがたの意識は脳の内側にかたく拘束されたまま、どこへも抜け出ることはないと信じていますか。あなたがたの意識の果ては、肉体という境界線までだと思いますか。もしあなたがそう考えておられるなら、それはみずからを過小評価していることになります。 そして、私という存在に関しても、きっとひとつの幻として片付けようとするでしょう。しかしながら私という存在は、あなたという存在が幻でないのと同じだけ確実に、幻ではないのです。これはあたかも人を罠(わな)にかけるごとき宣告と聞こえるかもしれませんが。 読者の方々一人ひとりに向けて、私は正直なところをお話しましょう。あなたがたが認める「年齢」という言葉の意味に則して言えば、私はあなたがたよりずっと歳を重ねた存在です。 ですからかりに、もの書きの適性を年齢で競う場があったとしたなら、金メダルを獲得するのは私でしょう。言うなれば私は人格を有するエネルギー存在であり、もはや物質に心を奪われることはありません。かような存在としての私には、あなたがたの多くが忘れ去ってしまったかのような、いくつかの真実が見えます。 それらの真実があなたがたのもとに帰するようにと、私は願っています。私は、あなたが自分自身であると考えている部分よりも、むしろあなたが知らない自分、つまりあなた自身がある程度まで否定したり忘れたりしてしまっている部分に対しておもに話しかけます。 実は、あなたがたの「知っている自分」がこの書を読んでいる今も、あなたがたの「知らない自分」には、すでにこの書の内容がわかっているのです。 私は神仏や超越的存在を信じている人にも、信じていない人にも話をします。また存在の本質についてはすべて科学が解明してくれると考える人にも、そうは考えない人にも話をします。あなたが未だかつて学んだことのなかった自分自身という存在の本質を学んでいくうえで、一助となる手がかりを提供できればと思っています。 あなたがたに理解しておいていただきたいことがいくつかあります。あなたは瓶に封じ込められた蝿のように、時間のなかに閉じ込められているわけではありません。瓶のなかの蝿にとって、羽はもはや無用の長物です。現実(リアリティ)の真実に関して知りたいとき、あなたがたの肉体的感覚器官を信用することはできません。 体の感覚器官は嘘が素晴らしく上手です。もっともらしい気のきいた話にうまくのせられてしまい、あなたがたは疑うことさえしようとしません。あなたがたは目を醒ましている時よりも、むしろ夢を見ている時のほうがずっと聡明で創造性にあふれ、加えてはるかに博識なのです。 こうした話はあなたがたにとって、相当疑わしく聞こえるかもしれません。しかし、あなたがこの書を読み終える頃には、本書が事実の羅列にすぎないことがわかっていただけるよう願っています。 これからお話することは、忘れ去られてしまうたびに再びまた語られるというように、何世紀にもわたり繰り返し人類に語られてきた事柄です。私はそうした長い年月の間に歪められてしまった真実を、ここで明らかにしていくつもりです。また、これまでなされてきた解釈に対し、私独自の解釈を試みます。認識された物事あるいは情報が、真空のごとく存在することはあり得ません。 言い換えれば、それらのすべては、それを認識した人格存在の解釈の仕方や偏見に色づけされたうえで、保持されたり、語り継がれたりするのです。したがって、私も必然的に自分自身が認識している現実(リアリティ)の在り方なり、幾重にも層をなす多次元での体験なりを描写していくことになるでしょう。 ☆ ☆ ☆ 次回に続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年08月21日 13時19分59秒
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