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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年09月20日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 では、貴方が信じていないのは何か?

 五感で感知きないもの――聞く、見る、触る、味わう、嗅ぐなどできない全てだ。では、そのなかでも、信念を、私に見せてほしい。手のひらに置いてみてほしい。ある感情を見せてほしい。ぜひ、それにさわってみたい。ある考えを見せてほしい。それはどこにあるのだ? 

 貴方の価値観を見せてほしい。それはどんな姿をしているのか? 風のイメージを見せてほしい。そして、貴方の人生から貴重な瞬間を奪い取っていく「時間」を見せてほしい。

 貴方がたは皆、人生の最高の贈り物を信じようとしなかったのだ。

 そのため、遥かに大きな広がりを持つ、無限の思考が浮かんでくるのを不可能にしてしまったのである。幾度となく生を繰り返し、存在を繰り返すなかで、貴方はこの地上界での幻にあまりにもどっぷりと浸りすぎたため、自分のなかに流れる素晴らしい炎を忘れ去ってしまった。

 1500万年の間に、貴方は全能で至高の存在から、物質界で自分を完全に見失うところまできている。自分でつくり出した教義や、法律や、流行や伝統の言いなりとなり、国家や信念、性別、人種の違いで分断されて、嫉妬と苦々しさ、それに罪悪感と恐れのなかに浸っている。

 自分の身体と自分を完全に同一視してしまったために、(身体のなかでの)生存にすっかり囚われてしまい、自分が選ぶそのままの夢を創造させてくれる内なる神という貴方の真の姿、不可視の本質を忘れ去っているのだ。

 不死などということも全く頭から否定してしまった。そのため、貴方は死ぬ。そしてまた戻ってくる。何度も何度も、繰り返し、繰り返し、そうして、貴方はいま、またここにいる。1500万年間も、ここに生きてきたというのに、である。それでも貴方はまだ自分の疑念にしがみついているのだ!

 思考全体である神は、正に壮大な舞台だ!

 そして、貴方のお好きな脚本を書かせてくれ、お好きな配役にあわせて舞台で演じさせてくれる。そして幕がおり、最後の言葉が語られ、お辞儀が終わると、貴方は死ぬ。一体なぜだ?

 それは、全ての法則のつくり手である貴方が、そうなると信じているからに他ならない!

 この人生全てはゲームなのだ。それは幻なのである。全てがそうなのだ。だが、それを演じている貴方たちは、それが唯一の現実であると信じ込むようになってしまった。だが、これまでも、そしてこれからも存在する唯一の現実とは、生命そのものだけである。

 自由で、しかも連綿と続いていく存在の本質であり、それは貴方の好きなように自分のゲームを創造させてくれるのだ!

 思考により自分を無知や病気や死へと追いやる力が内面にあると気づくとき、更に大きく広がる無限の思考の流れに自分を開いてやるだけで、自分にはもっと偉大な力があることに貴方も気づくだろう。

 その流れが更に大きな才能と、創造性と、永遠の生命とを持たせてくれるのである。もともと身体を創造した張本人である神とは、実は貴方の内面に宿っている力であると気づくとき、貴方の身体はもはや老いることも病気になることも、消滅することもけっしてなくなる。

 しかし、自分の信念に固執し、思考に限界を求めている限り、朝の太陽に輝きを与え、黄昏の空に神秘を与えた永遠を体験することは、けっしてないだろう。

 自分がこの地上界から消滅すると定めたとき、一体何が起こるだろうか?

 勿論、肉体は消滅するが、貴方の目の奥で静寂の中で思考している存在はずっと生き続ける。この地上を去るとき、もし貴方が死ぬと決めても、真の貴方は、地中に埋められ、朽ち果て灰と化すわけではない。

 貴方は風とともに存在し続けるのである。行き先は、この地上界で貴方がいたところだ。そこで貴方は、次回の冒険で何をしたいかを決めるのである。そう、全ては単なる冒険にすぎない。

 そして貴方は、神としての自分の真性を再び手にするまで、何回でも、望むだけ、この地上界に戻ってくることになる。その後で、今度は別の天界、別の場所で更に壮大な冒険に向かっていくのだ。

 人間は皆、自分の想像を遥かに超えて愛されている。というのも、何をしようと貴方は存在し、生き続けていくからだ。だったら、なぜこれまで心配をしてきたのだ? なぜ戦ってきたのだ?

 なぜ自分を病気にしてきたのだ? なぜ哀しみに打ちひしがれてきたのだ? 何故、自分に限界を課してきたのだ? なぜ昇る朝日の荘厳さを、風の自由を、そして子供たちの笑い声を楽しまなかったのだ? なにゆえに、苦労ばかりせずに、生きることをしてこなかったのだ?

 貴方は何度も何度も生きる。貴方の種は永遠不滅の存在なのだ。貴方がどんなに疑念を持とうと、自分の世界を限定しようと、どれほど心配し、絶望しようとも、貴方が決して消せないものがある。それが生命というものだ!

 どんなに心の目が盲いた貧しい人間であろうと、必ず生命はある。それが神と呼ばれる存在が示す価値観であるからだ。そしてそれは、貴方のことなのだ。

 貴方が生きている、この人生は、夢だ。大いなる夢、言わば上辺なのだ。それは、思考が物質と戯れている姿であり、夢見人である貴方自身が目覚めるまで、貴方の感情を、そのなかに拘束しておくための深遠なる現実をつくり出しているのである。

 自分がどれほど美しいか、貴方はついに知ることがなかった。自分をしっかりと見たことがなかったからだ。自分が誰なのか、何者なのかを見据えたことがなかったのだ。神がどんな姿かみたいだろうか。鏡をみてみよう。そうすれば、貴方は神と面と向き合っているのだ! 

 自分は価値ある人間であることをまず知ることだ。貴方の真価を評価できる物差しなどない。貴方の美を描き出せる像もない。そして、貴方の世界に終わりもないのである。

 最も偉大な説法は、山上に立ったある師によってなされたものだ。そこに立つと、その師は聴衆に向かってこう言った。

 「神を見よ!」と。

 それだけしか言う必要はなかった。(自分のなかに映る)神を見よ。なぜなら、一人一人が、限界も、望みも、病も、貧富も、喜びも哀しみも、生命も、そして……その死も、全てを創造しているのだから。

 (貴方は貴方のなかの神により生きている。エヘイエ アシェル エヘイエ〔I am that I am〕は、「私は、私が思うところの存在である。」で、我思う、故に我在りである。)

 神を見よ。それを覚えておくことだ。貴方は、万物に宿るあの存在なのだから。いつの日にか、貴方も神を見ることだろう。自分に触れてみるとよい。ただそれだけでいいのだ。

 ☆  ☆  ☆

 というように、人間は思考の産物なので、人間は死なない。だが、人間が死ぬと思えば、死ぬという思いは死なないから、死ぬわけだ。ただし、その死は、消滅ではなく、本人の死のイメージが実現するだけである。また別のサイトから抜粋する。

 ☆  ☆  ☆

 http://penguincafeb.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301528712-1

 知るということ 1 [ラムサ―真・聖なる預言]

この愛すべき次元(この世)には、「覚醒」しようと一生懸命苦労している者が沢山いる。それは、確かに充分価値のあることだがそれでも、その言葉の意味するところを真に理解している者はほどんどいない。

 「覚醒」とは、「光(思考)とともに在る」こと、知識を持つことを意味し、自分の思うような形に、知識を用い、応用する、ということだ。

 では、どうすれば覚醒できるだろうか?

 誰かのお墨付きを受けて、でないことは確かだ。覚醒する唯一の道とは、自らの思考のなかに、想念を招き入れ、それらを感情のなかに抱く体験を通じて、叡智に昇華させることだ。

 知識はなぜ重要なのだろうか。知識は貴方の一番の宝だからである。

 貴方から全てが奪い取られたとき、奪い取られなかったもの。これからもけっして奪い取ることのできないものとは、貴方に再び創造力を与えてくれる、この知識だからである。

 知識があれば、貴方には自由がある。選択がある。知識があれば、限りなき世界を築くことができる。知識があれば、恐れるものは何もない。

 知識さえあれば、貴方を脅かしたり、隷属させたり、怯えさせることのできる物も、要素も、国家も、叡智も全く存在しないのだ。恐れに対し、知識を獲得すれば、「覚醒」と呼ばれる状態になる。

 知識は、貴方の精神が既に知っている以上のことを推論し、思索するのを可能にしてくれる、更に、万有の「理解」を深く洞察させてくれ、更に偉大なる知識を受け容れることを可能にしてくれる。

 知識は、貴方が更に成長し、絶え間ない広がりを探求し続けること、最高のものになることを強く求める。その意味で、それは貴方を限られた人生から、更に限りない領域へと連れて行く。

 知識とその学びの冒険を通じて、貴方は更に単純明快な存在となっていく。そして、その単純明快な中に、万有の平和と生の悦びを見いだす。

 さて、ここで知識の科学を説明したいと思う。つまり、どうして貴方は万有を理解できる能力を持っているのか?

 万有の理解はなぜ大事なのだろうか。それは、貴方が知る全てが、貴方がなるものだからだ。そして、万有の理解を学んだとき、貴方は万有となり、それはまさしく神になることなのだ!

 (「エヘイエ アシェル エヘイエ」は、「私は、私が知るところのものである」となる。)

 神は、無限の知識、無限の生、そして思考の総体である。そこでは、貴方は再び、万有の無限の自由であり、悦びなのだ!

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年09月21日 09時28分13秒
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