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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2019年08月08日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
書きたくなったときに書くお気楽気ままなブログにすっかり変貌してしまった月一回のオカルト講釈だが、書きたくなったので、書きます。

生まれて物心がついてから大学受験時代と大学院研究生活を除きほぼTV漬けの人生をおくってきた一般人がいうのもなんだが、いまのTVは本当につまらなくなったと思う。

TVにコンプライアンスを求めてはいけないと思う。それは権力による締め付けとなり、自由でなくなるからである。

TVは娯楽である。TVをみないで勉強する人が東大とかの一流大学に入るわけだから、TVとは反対側にあるのが権力組織である。自由を駆使して権力組織と闘うのがTVの役目で、去勢されて権力組織の飼い犬になってはTVなんぞはなくなってしまったほうがまだマシであるから、いまの糞つまらない吉本興業とともに消えてなくなってしまえ!

吉本騒動をみていると、足を洗うのか洗わないのか、どうするのかじっれったいヤクザをみていて、胸糞が悪くなる。ヤクザとは、八切史観で明らかなのだが、八屑(八のクズ)という意味で、花札にちなんだ名称ではない。

八とは、江戸時代は、エタヒニンの下層階級出の人の通称で、土地の名称に八がつくのが多いのは、通称部落とされたからである。他に四つがあり、これも土地の名に多い。四つも八も、原住民の出自で、大陸の唐に攻められて、敗北して奴隷階級へと貶められた民族である。

その八のなかでもとびっきり出来の悪いのがクズとされ、八クズがヤクザとなったらしい。

戦国時代に有名な安国寺恵瓊の書に、「信長は長く続かない、八の出の、秀吉がよい」という文面があるが、それは秀吉が、八の民族の出であることをわざわざ示している。秀吉の周辺に、八スカ、八ヤの姓が多いのはその証拠である。漢字は明治時代にほとんどが後付けされたから、カタカナの「ハ」行は、八の民族らしい。

信長の先祖の織田も、元々は八田だったのが、小田になって、織田と後付けされたようで、徳川家臣の大久保彦左衛門の書では、「小田」となっている。

何がいいたいかというと、最近、上級国民と下級国民という名称が巷で話題だが、その前は勝ち組と負け組となっていたが、そんなことは、この国では、白村江の戦いから続いていたわけである。

あれだけ悪逆非道を尽くした信長や秀吉、家康がいまでも人気なのは、彼らが、原住民のエタヒニンの出で、大陸中国から仏教と漢字を持ち込んで、藤原政権をつくった奴隷体制を打破しようとしたからである。

つまり、身分制度をなくし、奴隷解放をしようとしたからである。そのための信長の天下布武だったのである。簡単にいえば、武力の強いものが政権をつくるということである。

楽市楽座とは、仏教徒の専従していた商売を取り上げ、身分に関わらず商売できるようにした制度である。勿論人身売買も含まれたから、日本では仏教徒は妻帯できるわけである。仏陀は、教団に女性を入れるのを好まなかったし、商売をするのはご法度だったはずだが、日本の仏教がいい加減なのは、現世の物欲に染まってしまったからである。

信長が延暦寺を焼き討ちしたのは、仏教体制の総本山を破壊するためである。だからキリスト教を持ち込んで、仏教と戦わせたのである。だから仏教の寺に、信長の墓があるのはおかしい。なんでも商売につなげる商魂の日本仏教のなせる業といえる。

唐からきたトウゲンの藤原が帝をつくり、仏教体制で立身出世、身分制度がこの世に確立された。朝鮮から用心棒として使われた不信からブジンと呼ばれた武士が反乱を何度か起こし、東西に分かれて統治された時代もあったが、信長、秀吉と、異なる帝をたて、朝廷と抗争したが、結局、家康の公武合体で、長い江戸時代をおくる。

明治維新になると、英国の工作もあり、薩長の奴隷階級が西郷を中心に奴隷解放を行い、いったんは成功するが、議会は貴族院という民主主義とは相容れない中途半端なものができあがる。

福沢諭吉の学問のすすめが売れたのは、下層民でも、勉強すれば上級人の貴族になれるとうたったからである。それだけ、仏教勢力が強かったのである。

日本の仏教が悪いと言っているのではなく、権力に染まってしまうのはよくない。仏教徒は政権とは無縁の下層生活を送るべきである。弱者救済が宗教の目的だからである。

というのも、この世の行いが、天国に行くか、地獄に堕ちるかを決めるのである。この世は、その試験なのである。有名なエジプトの壁画にも、最後(死後)の審判として描かれている。

この世に執着すればするほど地獄に落とされるのを、御釈迦さんがおっしゃっているのに、耳をかさない人が多いのには呆れてしまう。この世の権力の源は悪魔なんですよ。だから御釈迦さんは出家してホームレスになったわけです。この世への執着に気づいてそれを手放した。

お笑いが権力と癒着したらシラけるばかりである。

話題が逸れてしまったが、TVのほとんどがつまらないが、そのなかにあっても、これは面白いと思ったのが、「太田松之丞」である。

自由に悪口を言い合う番組はなかなかできない。言われた本人の自尊心が傷つくからである。しかし、この地獄の世界では、自尊心はそのまま執着心でしかないことにほとんどの人が気づいていない。

だから、地獄の世にあって悪口をいわれて怒るようではダメである。地獄なんだから、悪口なんて当たり前でしょう。

北海道出身の人はクマの恐ろしさを実際に体験しているので、クマをキャラクターにするのが信じられないと言うように、ほとんどの人は、自分をキャラクターにして、つまり自分を贔屓目にしてみている。

女優が綺麗にみえるのは、そのようにみせているからで、実際に体験するとその恐ろしさに気づくはずである。だから、ほとんどが自分に執着して、甘い目でみている。自分を甘い目でみている人ほど笑われる対象となる。

笑われる人間と笑わせる人間は一見紙一重だが、馬鹿と天才、天と地ほどの違いがある。いままでにないオリジナルな存在が笑わせる人間である。笑われる人間は規制概念に沿って下等にみなされ笑われる。

本当に、お笑いにコンプライアンスなんてアホかと思う。平和のために戦争というような馬鹿になってはお終いである。葬式にお笑いを求めてどうすると思う。TV業界は権力に洗脳され、TPOがわからなくなったせいだと思う。

吉本が教育なんかやりだすから問題なんである。反権力が権力と癒着したらお終いだよ!

自由は死んだ。お笑いの神は死んだね。

権力を笑い飛ばすのが本当の笑いの醍醐味に思われる。

悪魔が支配するこの世のなかで、悪魔を笑い飛ばせる自由を死なせてはならない。

殺したければ殺せばいい、しかし、それだけ笑いがこの世からなくなるよ。

といえるお笑い芸人が出てきてほしい。神田松之丞にはそのような反体制のカリスマを感じる。

枠にはめたがるのが権力で、枠にはめない自由がお笑いなのである。

枠からはみ出る勇気がいまの日本のお笑いには欠けている。

ヤクザとは社会の枠からはみでた素質をもっている。だからこそ、社会に還元できれば素晴らしい芸術となる。笑いの哲学が欠けている。

吉本の社長は「私の笑いはもう古い、通用しないので、堅気に戻り、闇営業で食いつなぎます。」と潔く辞めればよかったと思う。執着しない、潔いのが笑い、だと思う。あんなの誰もついていきませんよ。笑いも自己保身なんだねとガッカリだったね。

吉本の社長は笑わせる人でなく、笑われる人だった!

令和の時代に、天下布笑の信長がでるか、見守りたい。上級国民の首を片っ端から刈り取る仕事人を、いまのところ、山本太郎かな?





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Last updated  2019年08月08日 23時52分27秒
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