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カテゴリ:閑話休題
![]() 1985年3月20日。 今から23年前のこの日。 まだ、まりころちゃんや原ちゃんが生まれたばかりの頃。 私は東京へ旅立ちました。 東京の建設会社でこれから働く為に。 前の日は、家族全員(といっても4人だけだけど)で、 父親の馴染みのスナックへ行きました。 私にとっては、初スナック。 もちろん、無礼講で水割りを飲みましたよ。 さすがに、中学生の弟はオレンジジュースだったけど(笑) この時に撮った写真が、現存する唯一の家族全員が写った写真です。 別に、誰かが死んだ訳じゃありませんよ(笑) 家族で写真を撮る習慣も、機会もなかっただけです。 そのスナックから家に帰ってすぐ、 中学時代からの親友(今も親友)の家へ、 明日、上京する旨と、しばしのお別れを言いに行きました。 それまで引っ越しのことでバタバタしていたので、 友達にはいつ行くとは報告していなかったんです。 さすがに、明日旅立つと聞いて、親友は驚いてましたね。 でも、コンビニから食料を買ってきてくれて、 軽く「お別れ会」を開いてくれました。 親友も、25日に長野に旅立つ予定だったこともあって。 3月20日当日。旅立ちの日。 まだエクランを建設中の甲府駅から、 目指すは会社の寮がある国立市の国立駅。 一応、出発の日ということで、 家族は全員、駅のホームまで見送りに来てくれました。 でも、さすがにみんな口が重くて、誰もしゃべらない。 その静寂を破るように、父親が、 「おい、そば食べるか?」とぽつり。 なんだろう、別に父親もそばなんか食べたくなかったと思うんですが、 この重たい空気が嫌だったんでしょうね。 私も、別にそばなんか食べたくなかったんですが、 つい「うん」と返事をして、食べることにしました。 甲府駅にあるそば屋は、みたけそば。 注文したのは、月見そばだったかな。 黙って、父子で隣り合ってそばをすするのは、 ある意味、異様な風景ではあるんだけど、 なんか父親の想いというのが伝わってきて、胸にグッときちゃいました。 さすがに涙は流さなかったけど。 その後、数分して家族と別れて普通電車に乗り込み、 曇り空の甲府駅をちょっとずつ進み出した時は、 さっきとは違う感傷が胸に来ましたね。 この慣れ親しんだ街と離れるんだという惜別の感情だったのかも。 集団就職での別れや、外国へ旅立つ別れを体験している人は、 「たかが甲府から国立まで行くのに、おおげさな」と思う人もいるでしょう。 今、振り返ると、私もそう思います。 でも、人生の岐路での旅立ちというのは、距離の長短うんぬんではなく、 自身の覚悟の度合いで、感傷的になるのではないでしょうか。 期待と不安の旅立ち。 あの日の想いは忘れないし、忘れちゃいけない。 3月20日は、旅立ちの日 それでは曲です。松山千春で「旅立ち」 どうぞ! ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.20 23:07:17
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