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こきっつぁん

こきっつぁん

2008.11.24
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カテゴリ:野球
カキフライに、ソースをかけようかタルタルソースをかけようか、迷う今日この頃、
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
エビフライならタルタルソースなんだけどね。



さて、みなさまはお気付きになっていないと思いますが、
昨日の勤労感謝の日のファン感謝デーで、
広島東洋カープの本拠地・広島市民球場はその役目を終えました。

広島市民球場

カープが強かった昭和50年代は、激戦がたくさん繰り広げられた広島市民球場。


昭和50年のリーグ初優勝の時は後楽園球場で優勝が決まったので、
広島市民球場では古葉監督の胴上げは出来なかったのですが、
(日本シリーズも阪急の前に惨敗した)
昭和54年の優勝の時は本拠地で胴上げ出来て、物凄く盛り上がったのを覚えてますよ。
山本浩二、衣笠、高橋慶彦、水谷、三村、水沼、木下、江夏、山根、北別府・・・数々の勇者。
ちなみに、例の「江夏の21球」は、大阪球場の出来事です。



翌昭和55年は、2年連続の顔合わせとなった近鉄との日本シリーズに勝利し、
広島市民球場で初めて日本一の胴上げが出来ました。
この年のカープといえば、ライトルとデュプリーのふたりの外国人選手が、
凄く活躍していたのが印象に残ってますね。

学校でキャッチボールをやってる時に、遠投になると、
「強肩ライトル!!」なんて叫んで全力投球したり、
遊びでソフトボールをやってる時は、
デュプリーがバッターボックスに入って構える所のマネをやったりしましたね。
(↑細かすぎて伝わらない物真似・笑)
デュプリーの、常に全力でプレーする姿勢が大好きでした。
昭和55年のカープ日本一の瞬間


大好きだったといえば、広島市民球場のスコアボードがまだ電光掲示板ではなかった頃、
カープの選手がホームランを打つと場内に流れる、
「♪タッタタ~、タラララララ~」というファンファーレは好きでしたね~。
「プロ野球ニュース」でカープの試合のダイジェストを見てると必ず流れてくるから、
知らず知らずのうちに覚えちゃいました。





昭和59年の広島と阪急の日本シリーズ。
日本シリーズなのに球場に閑古鳥が鳴いて、「地味シリーズ」と揶揄された対決。
阪急の福本さんがまだまだ元気で、
ホームラン性の打球を追って、広島市民球場のフェンスによじ登ったり、
頭にデッドボールを受けて、ヘルメットが壊れたり、
カープの選手より福本さんの頑張りが印象に残るシリーズでした(笑)
でも、カープが見事3回目の日本一になって、
古葉監督の胴上げが行われたのも、ここ広島市民球場でした。
そして、前年(1983年)のワールドシリーズを制したボルチモア・オリオールズとの、
「日米ワールドシリーズ」(全7戦)が行われたのも、ここ広島市民球場でした。
全く誰も覚えていないと思いますが(笑)




でも、カープファンと巨人ファンがかすかに覚えているのが、
昭和59年の、巨人戦での長嶋清幸の2試合連続サヨナラホームラン!
(9月15日に西本から、翌16日に江川から)
長嶋と言っても、広島の長嶋です。
日本のプロ野球史上初の背番号「0」の選手です。
地味な選手が多いカープの中でも地味な選手が、
とてつもなく派手なことをやってのけたのは痛快でしたね。




昭和61年の日本シリーズは、史上初の第8戦までいった日本シリーズですが、
その第8戦の舞台が、ここ広島市民球場。
曇り空を切り裂く、カープの先発投手・金石の先制2ランホームラン。
カープファンを黙らせた、西武の秋山の同点2ラン”バック宙”ホームラン。
そして、西武のブコビッチの勝ち越しタイムリーヒット。
西武が1分け3連敗からの4連勝で、逆転の日本一達成!!
秋山のバック宙ホームイン

この年から広島市民球場は、
”男の哀愁が似合う球場”になったと感じるのは私だけでしょうか。




昭和62年6月13日。
カープの鉄人・衣笠祥雄は中日戦で、当時の連続試合出場を更新する、
2131試合連続出場を達成し、この年限りの引退を決意しました。




昭和62年9月20日。
カープの小早川にサヨナラ逆転2ランを浴びた江川卓は、
広島市民球場のマウンドを降りる時に涙を流し、引退を決意しました。




平成3年、中日を逆転して奇跡のリーグ優勝を飾ったカープ。
日本シリーズの相手は、優勝→日本一が義務(石毛談)になりつつあった西武。
その黄金時代の西武に正面から立ち向かったのが、カープの左腕エース・川口だった。
第2戦で8回まで投げて勝ち投手になり(9回は大野がリリーフ)、2勝2敗で迎えた第5戦。
広島市民球場での日本シリーズの最後の試合。
先発川口は、8回を散発5安打無失点の圧巻の投球!
9回は大野がシメて、完封リレーで王手! 最高の形で西武球場へ。

しかし、第6戦のリリーフのマウンドに立った川口は、
西武の鈴木康友に勝ち越し2点タイムリー、秋山に3ランホームランを浴び、轟沈。
第7戦も西武が勝利し、2年連続の日本一になったけど、
川口の川口による川口の為の日本シリーズと言っても過言ではなかった。




その後、広島市民球場はスコアボードが電光掲示板になり、
優勝は出来なくなったけど、金本・江藤・前田・野村・黒田といった名選手を産み出し、
激闘を刻み続けていきました。
津田の剛球、前田の号泣、江藤の右目への打球、大野の魔球は忘れられない…。





結局、私は1度も広島市民球場へは足を運ぶことはなかったのですが、
高校の修学旅行で広島の原爆資料館に行った時に、すぐ近くに市民球場の照明灯が見えて、
みんな神妙な心持ちの中、野球ファンの私だけは心が沸き立ってましたね。
あと、3年前に私の友達が広島に出張したついでに、
広島市民球場で広島VS横浜を観て来た時に、山梨に帰ってきてからあれこれ聞いたのですが、
試合が凄く観やすかったことをしきりに強調してましたね。選手が凄く近く感じたとも。
売店の食べ物も美味しかったって(笑)



選手との距離が近いカープファンの象徴でもあり、聖地であった広島市民球場。
ただし、プロ野球の球団の本拠地としては、お粗末な施設だったことは確か。
来年から新球場に移転するのを機に、球団も”個人商店”から、
スポーツビジネスが出来るワールドワイドなクラブチームに脱皮しなきゃいけないでしょうね。
なのに、新球場の名前が
「MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島」というのは、どうなんでしょう?(笑)
新広島市民球場


たくさんの激闘をありがとう!
さようなら、広島市民球場。おつかれさま、広島市民球場。


それでは曲です。
広島市民球場で33試合連続安打の日本記録を達成した、
高橋慶彦で「噂のセクシークィーン」 どうぞ!

ありがとう広島市民球場





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Last updated  2008.11.25 23:23:00
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